《ねめ》られたんだ。マアヨーク考えて御覧、本田さんのようなあんな方でさえ御免になってはならないと思《おもい》なさるもんだから、手間暇かいで課長さんに取り入ろうとなさるんじゃアないか、ましてお前さんなんざアそう言ッちゃアなんだけれども、本田さんから見りゃア……なんだから、尚更《なおさら》の事だ。それもネー、これがお前さん一人の事なら風見《かざみ》の烏《からす》みたように高くばッかり止まッて、食うや食わずにいようといまいとそりゃアもうどうなりと御勝手次第サ、けれどもお前さんには母親《おっか》さんというものが有るじゃアないかエ」
母親と聞いて文三の萎《しお》れ返るを見て、お政は好い責《せめ》道具を視付《みつ》けたという顔付、長羅宇《ながらう》の烟管《きせる》で席《たたみ》を叩《たた》くをキッカケに、
「イエサ母親さんがお可愛《かわい》そうじゃアないかエ、マア篤《とっく》り胸に手を宛《あ》てて考えて御覧。母親さんだッて父親《おとっ》さんには早くお別れなさるし、今じゃ便りにするなアお前さんばっかりだから、どんなにか心細いか知れない。なにもああしてお国で一人暮しの不自由な思いをしてお出でなさりたくもあるまいけれども、それもこれも皆《みんな》お前さんの立身するばッかりを楽《たのしみ》にして辛抱してお出でなさるんだヨ。そこを些《すこ》しでも汲分《くみわ》けてお出でなら、仮令《たと》えどんな辛いと思う事が有ッても厭《いや》だと思う事があッても我慢をしてサ、石に噛付《かじりつい》ても出世をしなくッちゃアならないと心懸なければならないとこだ。それをお前さんのように、ヤ人の機嫌を取るのは厭だの、ヤそんな鄙劣《しれつ》な事は出来ないのとそんな我儘|気随《きまま》を言ッて母親さんまで路頭に迷わしちゃア、今日《こんにち》冥利《みょうり》がわりいじゃないか。それゃアモウお前さんは自分の勝手で苦労するんだから関《かま》うまいけれども、それじゃア母親さんがお可愛そうじゃアないかい」
ト層《かさ》にかかッて極付《きめつけ》れど、文三は差俯向いたままで返答をしない。
「アアアア母親さんもあんなに今年の暮を楽しみにしてお出でなさるとこだから、今度《こんだ》御免にお成りだとお聞きなすったらさぞマア落胆《がっかり》なさる事だろうが、年を寄《と》ッて御苦労なさるのを見ると真個《ほんと》にお痛《いたわ》しいようだ」
「実に母親《おふくろ》には面目《めんぼく》が御座んせん」
「当然《あたりまえ》サ、二十三にも成ッて母親さん一人さえ楽に養《すご》す事が出来ないんだものヲ。フフン面目が無くッてサ」
ト、ツンと済まして空嘯《そらうそぶ》き、烟草《たばこ》を環《わ》に吹《ふい》ている。そのお政の半面《よこがお》を文三は畏《こわ》らしい顔をして佶《きっ》と睨付《ねめつ》け、何事をか言わんとしたが……気を取直して莞爾《にっこり》微笑した積《つもり》でも顔へ顕《あら》われたところは苦笑い、震声《ふるいごえ》とも附かず笑声《わらいごえ》とも附かぬ声で、
「ヘヘヘヘ面目は御座んせんが、しかし……出……出来た事なら……仕様が有りません」
「何だとエ」
トいいながら徐《しず》かに此方《こなた》を振向いたお政の顔を見れば、何時しか額に芋※[#「虫+蜀」、第4水準2−87−92]《いもむし》ほどの青筋を張らせ、肝癪《かんしゃく》の眥《まなじり》を釣上げて唇《くちびる》をヒン曲げている。
「イエサ何とお言いだ。出来た事なら仕様が有りませんと……誰れが出来《でか》した事《こっ》たエ、誰れが御免になるように仕向けたんだエ、皆自分の頑固《かたいじ》から起ッた事《こっ》じゃアないか。それも傍《はた》で気を附けぬ事か、さんざッぱら人《しと》に世話を焼かして置て、今更御免になりながら面目ないとも思わないで、出来た事なら仕様が有ませんとは何の事《こっ》たエ。それはお前さんあんまりというもんだ、余《あんま》り人《しと》を踏付けにすると言う者《もん》だ。全躰マア人《しと》を何だと思ッてお出《い》でだ、そりゃアお前さんの事《こっ》たから鬼老婆《おにばばあ》とか糞老婆《くそばばあ》とか言ッて他人にしてお出でかも知れないが、私ア何処《どこ》までも叔母の積だヨ。ナアニこれが他人で見るがいい、お前さんが御免になッたッて成らなくッたッて此方《こっち》にゃア痛くも痒《かい》くも何とも無い事《こっ》たから、何で世話を焼くもんですか。けれども血は繋《つなが》らずとも縁あッて叔母となり甥《おい》となりして見れば、そうしたもんじゃア有りません。ましてお前さんは十四の春ポッと出の山出しの時から、長の年月《としつき》、この私が婦人《おんな》の手一ツで頭から足の爪頭《つまさき》までの事を世話アしたから、私はお前さんを御迷惑かは知らないが血を分
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