してないが、叔母だて……ハテナ叔母だて。叔母はああいう人だから、我《おれ》が免職になッたと聞たら急にお勢をくれるのが厭になッて、無理に彼娘《あれ》を他《た》へかたづけまいとも言われない。そうなったからと言ッて此方《こっち》は何も確《かた》い約束がして有るんでないから、否《いや》そうは成りませんとも言われない……嗚呼《ああ》つまらんつまらん、幾程《いくら》おもい直してもつまらん。全躰《ぜんたい》何故|我《おれ》を免職にしたんだろう、解らんナ、自惚《うぬぼれ》じゃアないが我《おれ》だッて何も役に立たないという方でもなし、また残された者だッて何も別段役に立つという方でもなし、して見ればやっぱり課長におべッからなかったからそれで免職にされたのかな……実に課長は失敬な奴だ、課長も課長だが残された奴等もまた卑屈極まる。僅《わず》かの月給の為めに腰を折ッて、奴隷《どれい》同様な真似をするなんぞッて実に卑屈極まる……しかし……待《まて》よ……しかし今まで免官に成ッて程なく復職した者がないでも無いから、ヒョッとして明日《あした》にも召喚状が……イヤ……来ない、召喚状なんぞが来て耐《たま》るものか、よし来たからと言ッて今度《こんだ》は此方《こっち》から辞してしまう、誰が何と言おうト関《かま》わない、断然辞してしまう。しかしそれも短気かナ、やっぱり召喚状が来たら復職するかナ……馬鹿|奴《め》、それだから我《おれ》は馬鹿だ、そんな架空な事を宛にして心配するとは何んだ馬鹿奴。それよりかまず差当りエート何んだッけ……そうそう免職の事を叔母に咄《はな》して……さぞ厭な顔をするこッたろうナ……しかし咄さずにも置かれないから思切ッて今夜にも叔母に咄して……ダガお勢のいる前では……チョッいる前でも関《かま》わん、叔母に咄して……ダガ若し彼娘《あれ》のいる前で口汚たなくでも言われたら……チョッ関わん、お勢に咄して、イヤ……お勢じゃない叔母に咄して……さぞ……厭な顔……厭な顔を咄して……口……口汚なく咄《はな》……して……アア頭が乱れた……」
 ト、ブルブルと頭《かしら》を左右へ打振る。
 轟然《ごうぜん》と駆て来た車の音が、家の前でパッタリ止まる。ガラガラと格子戸《こうしど》が開《あ》く、ガヤガヤと人声がする。ソリャコソと文三が、まず起直ッて突胸《とむね》をついた。両手を杖《つえ》に起《たた》んとしてはまた坐り、坐らんとしてはまた起《た》つ。腰の蝶番《ちょうつがい》は満足でも、胸の蝶番が「言ッてしまおうか」「言難いナ」と離れ離れに成ッているから、急には起揚《たちあが》られぬ……俄に蹶然《むっく》と起揚ッて梯子段《はしごだん》の下口《おりぐち》まで参ッたが、不図立止まり、些《すこ》し躊躇《ためら》ッていて、「チョッ言ッてしまおう」と独言《ひとりごと》を言いながら、急足《あしばや》に二階を降りて奥坐舗《おくざしき》へ立入る。
 奥坐舗の長手の火鉢《ひばち》の傍《かたわら》に年配四十|恰好《がっこう》の年増《としま》、些し痩肉《やせぎす》で色が浅黒いが、小股《こまた》の切上《きりあが》ッた、垢抜《あかぬ》けのした、何処ともでんぼう肌《はだ》の、萎《すが》れてもまだ見所のある花。櫛巻《くしま》きとかいうものに髪を取上げて、小弁慶《こべんけい》の糸織の袷衣《あわせ》と養老の浴衣《ゆかた》とを重ねた奴を素肌に着て、黒繻子《くろじゅす》と八段《はったん》の腹合わせの帯をヒッカケに結び、微酔機嫌《ほろえいきげん》の啣楊枝《くわえようじ》でいびつに坐ッていたのはお政で。文三の挨拶《あいさつ》するを見て、
「ハイ只今《ただいま》、大層遅かッたろうネ」
「全体|今日《こんち》は何方《どちら》へ」
「今日はネ、須賀町《すがちょう》から三筋町《みすじまち》へ廻わろうと思ッて家《うち》を出たんだアネ。そうするとネ、須賀町へ往ッたらツイ近所に、あれはエート芸人……なんとか言ッたッけ、芸人……」
「親睦《しんぼく》会」
「それそれその親睦会が有るから一所に往こうッてネお浜さんが勧めきるんサ。私は新富座《しんとみざ》か二丁目ならともかくも、そんな珍木会《ちんぼくかい》とか親睦会とかいう者《もん》なんざア七里々《しちりしちり》けぱいだけれども、お勢《せ》……ウーイプー……お勢が往《いき》たいというもんだから仕様事《しようこと》なしのお交際《つきやい》で往《いっ》て見たがネ、思ッたよりはサ。私はまた親睦会というから大方演じゅつ会のような種《たち》のもんかしらとおもったら、なアにやっぱり品《しん》の好い寄席《よせ》だネ。此度《こんだ》文さんも往ッて御覧な、木戸は五十銭だヨ」
「ハアそうですか、それでは孰《いず》れまた」
 説話《はなし》が些し断絶《とぎ》れる。文三は肚《はら》の裏《うち》に「おなじ言うの
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