《はじめ》を云えば、こうで。
 この物語の首《はじめ》にちょいと噂をした事の有るお政の知己《しりびと》「須賀町《すがちょう》のお浜」という婦人が、近頃に娘をさる商家へ縁付るとて、それを風聴《ふいちょう》かたがたその娘を伴《つ》れて、或日お政を尋ねて来た。娘というはお勢に一ツ年下で、姿色《きりょう》は少し劣る代り、遊芸は一通り出来て、それでいて、おとなしく、愛想《あいそ》がよくて、お政に云わせれば、如才の無い娘《こ》で、お勢に云わせれば、旧弊な娘《むすめ》、お勢は大嫌《だいきら》い、母親が贔負《ひいき》にするだけに、尚《な》お一層この娘を嫌う※[#白ゴマ点、202−5]|但《ただ》しこれは普通の勝心《しょうしん》のさせる業《わざ》ばかりではなく、この娘の蔭《かげ》で、おりおり高い鼻を擦《こす》られる事も有るからで。縁付ると聞いて、お政は羨《うらや》ましいと思う心を、少しも匿《かく》さず、顔はおろか、口へまで出して、事々しく慶《よろこ》びを陳《の》べる。娘の親も親で、慶びを陳べられて、一層得意になり、さも誇貌《ほこりが》に婿《むこ》の財産を数え、または支度《したく》に費《つか》ッた金額の総計から内訳まで細々《こまごま》と計算をして聞かせれば、聞く事|毎《ごと》にお政はかつ驚き、かつ羨やんで、果は、どうしてか、婚姻の原因を娘の行状に見出《みいだ》して、これというも平生の心掛がいいからだと、口を極《きわ》めて賞《ほ》める、嫁《よめい》る事が何故《なぜ》そんなに手柄《てがら》であろうか、お勢は猫が鼠《ねずみ》を捕《と》ッた程にも思ッていないのに! それをその娘は、耻《はず》かしそうに俯向《うつむ》きは俯向きながら、己れも仕合と思い顔で高慢は自《おのずか》ら小鼻に現われている。見ていられぬ程に醜態を極める! お勢は固《もと》より羨ましくも、妬《ねた》ましくも有るまいが、ただ己れ一人でそう思ッているばかりでは満足が出来んと見えて、おりおりさも苦々しそうに冷笑《あざわら》ッてみせるが、生憎《あやにく》誰も心附かん。そのうちに母親が人の身の上を羨やむにつけて、我身の薄命を歎《かこ》ち、「何処かの人」が親を蔑《ないがし》ろにしてさらにいうことを用いず、何時《いつ》身を極《き》めるという考も無いとて、苦情をならべ出すと、娘の親は失礼な、なにこの娘《こ》の姿色《きりょう》なら、ゆくゆくは「立派な官員さん」でも夫に持ッて親に安楽をさせることで有ろうと云ッて、嘲《あざ》けるように高く笑う。見よう見真似に娘までが、お勢の方を顧みて、これもまた嘲けるようにほほと笑う。お勢はおそろしく赤面してさも面目なげに俯向いたが、十分も経《たた》ぬうちに座舗《ざしき》を出てしまッた。我部屋へ戻りてから、始めて、後馳《おくればせ》に憤然《やッき》となッて「一生お嫁になんぞ行くもんか」と奮激した。
 客は一日打くつろいで話して夜《よ》に入《い》ッてから帰ッた。帰ッた後に、お政はまた人の幸福《しあわせ》をいいだして羨やむので、お勢はもはや勘弁がならず、胸に積る昼間からの鬱憤《うっぷん》を一時に霽《はら》そうという意気込で、言葉鋭く云いまくッてみると、母の方にも存外な道理が有ッて、ついにはお勢も成程と思ッたか、少し受大刀《うけだち》になッた。が、負けじ魂から、滅多には屈服せず、尚おかれこれと諍論《いいあらそ》ッている。そのうちにお政は、何か妙案を思い浮べたように、俄《にわか》に顔色《がんしょく》を和げ、今にも笑い出しそうな眼付をして、「そんな事をお云いだけれども、本田さんなら、どうだえ? 本田さんでも、お嫁に行くのは厭かえ?」という。「厭なこった」、と云ッて、お勢は今まで顔へ出していた思慮を尽《ことごと》く内へ引込ましてしまう。「おや、何故だろう。本田さんなら、いいじゃないか、ちょいと気が利《き》いていて、小金も少《ちっ》とは持ッていなさりそうだし、それに第一男が好くッて」「厭なこッた」「でも、若し本田さんがくれろと云ッたら、何と云おう?」、と云われて、お勢は少し躊躇《たゆた》ッたが、狼狽《うろた》えて、「い……いやなこッた」。お政はじろりとその様子をみて、何を思ッてか、高く笑ッたばかりで、再び娘を詰《なじ》らなかッた。その後《のち》はお勢は故《ことさ》らに何喰わぬ顔を作ッてみても、どうも旨《うま》くいかぬようすで、動《やや》もすれば沈んで、眼を細くして何処か遠方を凝視《みつ》め、恍惚《うっとり》として、夢現《ゆめうつつ》の境に迷うように見えたことも有ッた。「十一時になるよ」と母親に気を附けられたときは、夢の覚めたような顔をして溜息《ためいき》さえ吐《つ》いた。
 部屋へ戻ッても、尚お気が確かにならず、何心なく寐衣《ねまき》に着代えて、力無さそうにベッたり、床の上へ坐ッたまま、身
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