い……」と振放そうとする手を握りしめる。
「あちちち」と顔を皺《しか》めて、「痛い事をなさるねえ!」
「ちッとは痛いのさ」
「放して頂戴《ちょうだい》よ。よう。放さないとこの手に喰付《くいつき》ますよ」
「喰付たいほど思えども……」と平気で鼻歌。
お勢はおそろしく顔を皺《しか》めて、甘たるい声で、「よう、放して頂戴と云えばねえ……声を立てますよ」
「お立てなさいとも」
と云われて一段声を低めて、「あら引[#「引」は小書き右寄せ]本田さんが引[#「引」は小書き右寄せ]手なんぞ握ッて引[#「引」は小書き右寄せ]ほほほ、いけません、ほほほ」
「それはさぞ引[#「引」は小書き右寄せ]お困りで御座いましょう引[#「引」は小書き右寄せ]」
「本統に放して頂戴よ」
「何故《なぜ》? 内海に知れると悪いか?」
「なにあんな奴に知れたッて……」
「じゃ、ちッとこうしてい給《たま》え。大丈夫だよ、淫褻《いたずら》なぞする本田にあらずだ……が、ちょッと……」と何やら小声で云ッて、「……位《ぐら》いは宜かろう?」
するとお勢は、どうしてか、急に心から真面目になッて、「あたしゃア知らないからいい……私《わた》しゃア……そんな失敬な事ッて……」
昇は面白そうにお勢の真面目くさッた顔を眺《なが》めて莞爾々々《にこにこ》しながら、「いいじゃないか? ただちょいと……」
「厭《いや》ですよ、そんな……よッ、放して頂戴と云えばねえッ」
一生懸命に振放そうとする、放させまいとする、暫時争ッていると、縁側に足音がする、それを聞くと、昇は我からお勢の手を放《はなし》て大笑に笑い出した。
ずッとお政が入ッて来た。
「叔母さん叔母さん、お勢さんを放飼《はなしがい》はいけないよ。今も人を捉《つかま》えて口説《くど》いて口説いて困らせ抜いた」
「あらあらあんな虚言《うそ》を吐《つ》いて……非道《ひど》い人だこと!……」
昇は天井を仰向いて、「はッ、はッ、はッ」
第十八回
一週間と経《た》ち、二週間と経つ。昇は、相かわらず、繁々《しげしげ》遊びに来る。そこで、お勢も益々親しくなる。
けれど、その親しみ方が、文三の時とは、大きに違う。かの時は華美《はで》から野暮《じみ》へと感染《かぶ》れたが、この度《たび》は、その反対で、野暮の上塗が次第に剥《は》げて漸《ようや》く木地《きじ》の華美《はで》に戻る。両人とも顔を合わせれば、只《ただ》戯《たわ》ぶれるばかり、落着いて談話《はなし》などした事更に無し。それも、お勢に云わせれば、昇が宜しく無いので、此方《こちら》で真面目《まじめ》にしているものを、とぼけた顔をし、剽軽《ひょうきん》な事を云い、軽く、気無しに、調子を浮かせてあやなしかける。それ故《ゆえ》、念に掛けて笑うまいとはしながら、おかしくて、おかしくて、どうも堪《たま》らず、唇を噛締《かみし》め、眉《まゆ》を釣上《つりあ》げ、真赤になッても耐《こら》え切れず、つい吹出して大事の大事の品格を落してしまう。果は、何を云われんでも、顔さえ見れば、可笑《おか》しくなる。「本当に本田さんはいけないよ、人を笑わしてばかりいて」。お勢は絶えず昇を憎がッた。
こうお勢に対《むか》うと、昇は戯《たわぶ》れ散らすが、お政には無遠慮といううちにも、何処《どこ》かしっとりした所が有ッて、戯言《たわごと》を云わせれば、云いもするが、また落着く時には落着いて、随分真面目な談話《はなし》もする。勿論《もちろん》、真面目な談話と云ッたところで、金利公債の話、家屋敷の売買《うりかい》の噂《うわさ》、さもなくば、借家人が更らに家賃《たなちん》を納《い》れぬ苦情――皆つまらぬ事ばかり。一つとしてお勢の耳には面白くも聞こえないが、それでいて、両人《ふたり》の話している所を聞けば、何か、談話《はなし》の筋の外に、男女交際、婦人|矯風《きょうふう》の議論よりは、遥《はるか》に優《まさ》りて面白い所が有ッて、それを眼顔《めかお》で話合ッて娯《たの》しんでいるらしいが、お勢にはさっぱり解らん。が、余程面白いと見えて、その様な談話《はなし》が始まると、お政は勿論、昇までが平生の愛嬌《あいきょう》は何処へやら遣《や》ッて、お勢の方は見向もせず、一心になッて、或《あるい》は公債を書替える極《ごく》簡略な法、或は誰も知ッている銀行の内幕、またはお得意《はこ》の課長の生計の大した事を喋々《ちょうちょう》と話す。お勢は退屈で退屈で、欠《あく》びばかり出る。起上《たちあが》ッて部屋へ帰ろうとは思いながら、つい起《たち》そそくれて潮合《しおあい》を失い、まじりまじり思慮の無い顔をして面白《おもしろく》もない談話《はなし》を聞いているうちに、いつしか眼が曇り両人《ふたり》の顔がかすんで話声もやや遠く籠《こも》ッて
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