妬《しっと》の原素も雑《まざ》ッている。それから」
「モウこれより外に言う事も無い。また君も何にも言う必要[#「必要」に白丸傍点]も有るまいから、このまま下へ降りて貰いたい」
「イヤ言う必要が有る。冤罪《えんざい》を被《こうぶ》ッてはこれを弁解する必要が有る。だからこのまま下へ降りる事は出来ない。何故痩我慢なら大抵にしろと『忠告』したのが侮辱になる。成程親友でないものにそう直言したならば侮辱したと云われても仕様が無いが、シカシ君と我輩とは親友の関繋《かんけい》じゃ無いか」
「親友の間にも礼義は有る。然《しか》るに君は面と向ッて僕に『痩我慢なら大抵にしろ』と云ッた。無礼じゃないか」
「何が無礼だ。『痩我慢なら大抵にしろ』と云ッたッけか、『大抵にした方がよかろうぜ』と云ッたッけか、何方《どっち》だッたかモウ忘れてしまッたが、シカシ|何方《どっち》にしろ忠告だ。凡《およ》そ忠告と云う者は――君にかぶれて哲学者振るのじゃアないが――忠告と云う者は、人の所行を非と認めるから云うもので、是《ぜ》と認めて忠告を試みる者は無い。故《ゆえ》に若《も》し非を非と直言したのが侮辱になれば、総《すべて》の忠告と云う者は皆君の所謂《いわゆる》無礼なものだ。若しそれで君が我輩の忠告を怒《いか》るのならば、我輩一言もない、謹《つつしん》で罪を謝そう。がそうか」
「忠告なら僕は却《かえっ》て聞く事を好む。シカシ君の言ッた事は忠告じゃない、侮辱だ」
「何故」
「若し忠告なら何故人のいる前で言ッた」
「叔母さんやお勢さんは内輪の人じゃないか」
「そりゃ内輪の者サ……内輪の者サ……けれども……しかしながら……」
文三は狼狽した。昇はその光景《ようす》を見て私《ひそ》かに冷笑した。
「内輪な者だけれども、シカシ何にもアア口汚く言わなくッても好じゃないか」
「どうも種々に論鋒《ろんぽう》が変化するから君の趣意が解りかねるが、それじゃア何か、我輩の言方即ち忠告の Manner《マンナア》 が気に喰《く》わんと云うのか」
「勿論《もちろん》 Manner も気に喰《くわ》んサ」
「Manner が気に喰わないのなら改めてお断り申そう。君には侮辱と聞えたかも知れんが我輩は忠告の積りで言ッたのだ、それで宜かろう。それならモウ絶交する必要も有るまい、アハハハ」
文三は何と駁《ばく》して宜いか解らなくなッた、唯ムシャクシャと腹が立つ。風が宜ければさほどにも思うまいが、風が悪いので尚お一層腹が立つ。油汗を鼻頭《はなさき》ににじませて、下唇《したくちびる》を喰締めながら、暫らくの間|口惜《くちお》しそうに昇の馬鹿笑いをする顔を疾視《にら》んで黙然としていた。
お勢が溢《こぼ》れるばかりに水を盛ッた「コップ」を盆に載せて持ッて参ッた。
「ハイ本田さん」
「これはお待遠うさま」
「何ですと」
「エ」
「アノとぼけた顔」
「アハハハハ、シカシ余り遅かッたじゃないか」
「だッて用が有ッたんですもの」
「浮気でもしていやアしなかッたか」
「貴君《あなた》じゃ有るまいシ」
「我輩がそんなに浮気に見えるかネ……ドッコイ『課長さんの令妹』と云いたそうな口付をする。云えば此方《こっち》にも『文さん』ト云う武器が有るから直ぐ返討だ」
「厭な人だネー、人が何にも言わないのに邪推を廻わして」
「邪推を廻わしてと云えば」
ト文三の方を向いて、
「どうだ隊長、まだ胸に落んか」
「君の云う事は皆|遁辞《とんじ》だ」
「何故」
「そりゃ説明するに及ばん、Self《セルフ》−evident《エヴィデント》 truth《ツルース》 だ」
「アハハハ、とうとう Self−evident truth にまで達したか」
「どうしたの」
「マア聞いて御覧なさい、余程面白い議論が有るから」
ト云ッてまた文三の方を向いて、
「それじゃその方の口はまず片が附たと。それからしてもう一口の方は何だッけ……そうそう丹治丹治、アハハハ何故丹治と云ッたのが侮辱になるネ、それもやはり Self−evident truth かネ」
「どうしたの」
「ナニネ、先刻《さっき》我輩が明治年代の丹治と云ッたのが御気色《みけしき》に障ッたと云ッて、この通り顔色まで変えて御立腹だ。貴嬢《あなた》の情夫《いろ》にしちゃア些《ち》と野暮天すぎるネ」
「本田」
昇は飲かけた「コップ」を下に置いて、
「何でゲス」
「人を侮辱して置きながら、咎《とが》められたと云ッて遁辞を設けて逃るような破廉耻《はれんち》的の人間と舌戦は無益と認める。からしてモウ僕は何にも言うまいが、シカシ最初の『プロポーザル』(申出)より一歩も引く事は出来んから、モウ降りてくれ給え」
「まだそんな事を云ッてるのか、ヤどうも君も驚く可《べ》き負惜しみだな」
「何だと」
「負惜しみじゃない
前へ
次へ
全74ページ中48ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング