アそ自家《じぶん》も常居《つね》から嫌《きら》いだと云ッている昇如き者に伴われて、物観遊山《ものみゆさん》に出懸けて行く……
「解らないナ、どうしても解らん」
 解らぬままに文三が、想像弁別の両刀を執ッて、種々《さまざま》にしてこの気懸りなお勢の冷淡を解剖して見るに、何か物が有ってその中《うち》に籠《こも》っているように思われる、イヤ籠っているに相違ない。が、何だか地体は更に解らぬ。依てさらに又勇気を振起して唯この一点に注意を集め、傍目《わきめ》も触らさず一心不乱に茲処《ここ》を先途《せんど》と解剖して見るが、歌人の所謂《いわゆる》箒木《ははきぎ》で有りとは見えて、どうも解らぬ。文三は徐々《そろそろ》ジレ出した。スルト悪戯《いたずら》な妄想奴《ぼうそうめ》が野次馬に飛出して来て、アアでは無いかこうでは無いかと、真赤な贋物《にせもの》、宛事《あてこと》も無い邪推を掴《つか》ませる。贋物だ邪推だと必ずしも見透かしているでもなく、又必ずしも居ないでもなく、ウカウカと文三が掴《つか》ませられるままに掴んで、あえだり揉《もん》だり円めたり、また引延ばしたりして骨を折て事実《もの》にしてしまい、今目前にその事が出来《しゅったい》したように足掻《あが》きつ※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》きつ四苦八苦の苦楚《くるしみ》を甞《な》め、然《しか》る後フト正眼《せいがん》を得てさて観ずれば、何の事だ、皆夢だ邪推だ取越苦労だ。腹立紛れに贋物を取ッて骨灰微塵《こっぱいみじん》と打砕き、ホッと一息|吐《つ》き敢えずまた穿鑿《せんさく》に取懸り、また贋物を掴ませられてまた事実《もの》にしてまた打砕き、打砕いてはまた掴み、掴んではまた打砕くと、何時《いつ》まで経《た》っても果《はて》しも附かず、始終同じ所に而已《のみ》止ッていて、前へも進まず後へも退《しりぞ》かぬ。そして退いて能《よ》く視《み》れば、尚お何物だか冷淡の中《うち》に在ッて朦朧《もうろう》として見透かされる。
 文三ホッと精を尽かした。今はもう進んで穿鑿する気力も竭《つ》き勇気も沮《はば》んだ。乃《すなわ》ち眼を閉じ頭顱《かしら》を抱えて其処《そこ》へ横に倒れたまま、五官を馬鹿にし七情の守《まもり》を解いて、是非も曲直も栄辱も窮達も叔母もお勢も我の吾《われ》たるをも何もかも忘れてしまって、一瞬時なりともこの苦悩この煩悶を解脱《のが》れようと力《つと》め、良《やや》暫《しば》らくの間というものは身動もせず息気《いき》をも吐かず死人の如くに成っていたが、倏忽《たちまち》勃然《むっく》と跳起《はねお》きて、
「もしや本田に……」
 ト言い懸けて敢て言い詰めず、宛然《さながら》何か捜索《さがし》でもするように愕然《がくぜん》として四辺《あたり》を環視《みまわ》した。
 それにしてもこの疑念は何処《どこ》から生じたもので有ろう。天より降ッたか地より沸いたか、抑《そもそ》もまた文三の僻《ひが》みから出た蜃楼海市《しんろうかいし》か、忽然《こつぜん》として生じて思わずして来《きた》り、恍々惚々《こうこうこつこつ》としてその来所《らいしょ》を知るに由《よ》しなしといえど、何にもせよ、あれ程までに足掻《あが》きつ※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》きつして穿鑿しても解らなかった所謂《いわゆる》冷淡中の一|物《ぶつ》を、今訳もなく造作もなくツイチョット突留めたらしい心持がして、文三覚えず身の毛が弥立《よだ》ッた。
 とは云うものの心持は未《いま》だ事実でない。事実から出た心持で無ければウカとは信を措《お》き難い。依て今までのお勢の挙動《そぶり》を憶出《おもいいだ》して熟思審察して見るに、さらにそんな気色《けしき》は見えない。成程お勢はまだ若い、血気も未《いま》だ定らない、志操も或《あるい》は根強く有るまい。が、栴檀《せんだん》は二葉《ふたば》から馨《こう》ばしく、蛇《じゃ》は一寸にして人を呑む気が有る。文三の眼より見る時はお勢は所謂|女豪《じょごう》の萌芽《めばえ》だ。見識も高尚《こうしょう》で気韻も高く、洒々落々《しゃしゃらくらく》として愛すべく尊《たっと》ぶべき少女であって見れば、仮令《よし》道徳を飾物にする偽君子《ぎくんし》、磊落《らいらく》を粧《よそお》う似而非《えせ》豪傑には、或は欺《あざむ》かれもしよう迷いもしようが、昇如きあんな卑屈な軽薄な犬畜生にも劣った奴に、怪我にも迷う筈はない。さればこそ常から文三には信切でも昇には冷淡で、文三をば推尊していても昇をば軽蔑《けいべつ》している。相愛は相敬の隣に棲《す》む、軽蔑しつつ迷うというは、我輩人間の能く了解し得る事でない。
「シテ見れば大丈夫かしら……ガ……」
 トまた引懸りが有る、まだ決徹《さっぱり》しない。文三|周
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