「》であったが、シカシ上野公園に来着いた頃にはまた口をきき出して、また旧《もと》のお勢に立戻ッた。
 上野公園の秋景色、彼方此方《かなたこなた》にむらむらと立|駢《なら》ぶ老松奇檜《ろうしょうきかい》は、柯《えだ》を交じえ葉を折重ねて鬱蒼《うっそう》として翠《みどり》も深く、観る者の心までが蒼《あお》く染りそうなに引替え、桜杏桃李《おうきょうとうり》の雑木《ざつぼく》は、老木《おいき》稚木《わかぎ》も押なべて一様に枯葉勝な立姿、見るからがまずみすぼらしい。遠近《おちこち》の木間《このま》隠れに立つ山茶花《さざんか》の一本《ひともと》は、枝一杯に花を持ッてはいれど、※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]々《けいけい》として友欲し気に見える。楓《もみじ》は既に紅葉したのも有り、まだしないのも有る。鳥の音《ね》も時節に連れて哀れに聞える、淋しい……ソラ風が吹通る、一重桜は戦栗《みぶるい》をして病葉《びょうよう》を震い落し、芝生の上に散布《ちりし》いた落葉は魂の有る如くに立上りて、友葉《ともば》を追って舞い歩き、フトまた云合せたように一斉《いっせい》にパラパラと伏《ふさ》ッてしまう。満眸《まんぼう》の秋色|蕭条《しょうじょう》として却々《なかなか》春のきおいに似るべくも無いが、シカシさびた眺望《ながめ》で、また一種の趣味が有る。団子坂へ行く者|皈《かえ》る者が茲処《ここ》で落合うので、処々に人影《ひとかげ》が見える、若い女の笑い動揺《どよ》めく声も聞える。
 お勢が散歩したいと云い出したので、三人の者は教育博物館の前で車を降りて、ブラブラ行きながら、石橋を渡りて動物園の前へ出《い》で、車夫には「先へ往ッて観音堂の下辺《したあたり》に待ッていろ」ト命じて其処から車に離れ、真直《まっすぐ》に行ッて、矗立千尺《ちくりゅうせんせき》、空《くう》を摩《な》でそうな杉の樹立の間を通抜けて、東照宮の側面《よこて》へ出た。
 折しも其処の裏門より Let《レット》 us《アス》 go《ゴー》 on《オン》(行こう)ト「日本の」と冠詞の付く英語を叫びながらピョッコリ飛出した者が有る。と見れば軍艦|羅紗《ラシャ》の洋服を着て、金鍍金《きんめっき》の徽章《きしょう》を附けた大黒帽子を仰向けざまに被《かぶ》った、年の頃十四歳ばかりの、栗虫のように肥《ふと》った少年で、同遊《つれ》と見える同じ服装《でたち》の少年を顧みて、
「ダガ何か食《くい》たくなったなア」
「食たくなった」
「食たくなってもか……」
 ト愚痴ッぽく言懸けて、フトお政と顔を視合わせ、
「ヤ……」
「オヤ勇《いさみ》が……」
 ト云う間もなく少年は駈《かけ》出して来て、狼狽《あわ》てて昇に三ツ四ツ辞儀をして、サッと赤面して、
「母親《おっか》さん」
「何を狼狽《あわ》てて[#「狼狽《あわ》てて」は底本では「狼狙《あわ》てて」]いるんだネー」
「家《うち》へ往ったら……鍋に聞いたら、文さんばッかだッてッたから、僕ア……それだから……」
「お前、モウ試験は済んだのかえ」
「ア済んだ」
「どうだッたえ」
「そんな事よりか、些《すこ》し用が有るから……母親さん……」
 ト心有気《こころありげ》に母親の顔を凝視《みつ》めた。
「用が有るなら茲処《ここ》でお言いな」
 少年は横目で昇の顔をジロリと視て、
「チョイと此方《こっち》へ来ておくれッてば」
「フンお前の用なら大抵知れたもんだ、また『小遣いが無い』だろう」
「ナニそんな事《こっ》ちゃない」
 ト云ッてまた昇の顔を横眼で視て、サッと赤面して、調子外れな高笑いをして、無理矢理に母親を引張ッて、彼方《あちら》の杉の樹の下《もと》へ連れて参ッた。
 昇とお勢はブラブラと歩き出して、来るともなく往《ゆ》くともなしに宮の背後《うしろ》に出た。折柄《おりから》四時頃の事とて日影も大分|傾《かたぶ》いた塩梅、立駢《たちなら》んだ樹立の影は古廟《こびょう》の築墻《ついじ》を斑《まだら》に染めて、不忍《しのばず》の池水は大魚の鱗《うろこ》かなぞのように燦《きら》めく。ツイ眼下に、瓦葺《かわらぶき》の大家根《おおやね》の翼然《よくぜん》として峙《そばだ》ッているのが視下される。アレハ大方|馬見所《ばけんじょ》の家根で、土手に隠れて形は見えないが車馬の声が轆々《ろくろく》として聞える。
 お勢は大榎《おおえのき》の根方《ねがた》の所で立止まり、翳《さ》していた蝙蝠傘《こうもりがさ》をつぼめてズイと一通り四辺《あたり》を見亘《みわた》し、嫣然《えんぜん》一笑しながら昇の顔を窺《のぞ》き込んで、唐突に、
「先刻《さっき》の方は余程《よっぽど》別嬪でしたネー」
「エ、先刻の方とは」
「ソラ、課長さんの令妹とか仰《おっ》しゃッた」
「ウー誰の事かと思ッたら……そうですネ、随分
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