住《ひとりずみ》の不自由をさせて置くも不孝の沙汰《さた》、今年の暮には東京《こっち》へ迎えて一家を成して、そうして……と思う旨《むね》を半分|報知《しら》せてやれば母親は大悦《おおよろこ》び、文三にはお勢という心宛《こころあて》が出来たことは知らぬが仏のような慈悲心から、「早く相応な者を宛《あて》がって初孫《ういまご》の顔を見たいとおもうは親の私としてもこうなれど、其地《そっち》へ往ッて一軒の家を成《なす》ようになれば家の大黒柱とて無くて叶《かな》わぬは妻、到底《どうせ》貰《もら》う事なら親類|某《なにがし》の次女お何《なに》どのは内端《うちば》で温順《おとなし》く器量も十人|并《なみ》で私には至極|機《き》に入ッたが、この娘《こ》を迎えて妻《さい》としては」と写真まで添えての相談に、文三はハット当惑の眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、物の序《ついで》に云々《しかじか》と叔母のお政に話せばこれもまた当惑の躰《てい》。初めお勢が退塾して家に帰ッた頃「勇《いさみ》という嗣子《あととり》があッて見ればお勢は到底《どうせ》嫁に遣らなければならぬが、どうだ文三に配偶《めあわ》せては」と孫兵衛に相談をかけられた事も有ッたが、その頃はお政も左様《さよう》さネと生返事、何方《どっち》附かずに綾《あや》なして月日を送る内、お勢の甚《はなは》だ文三に親しむを見てお政も遂《つい》にその気になり、当今では孫兵衛が「ああ仲が好《よい》のは仕合わせなようなものの、両方とも若い者同志だからそうでもない心得違いが有ッてはならぬから、お前が始終|看張《みは》ッていなくッてはなりませぬぜ」といっても、お政は「ナアニ大丈夫ですよ、また些《ちっ》とやそッとの事なら有ッたッて好う御座んさアネ、到底《どうせ》早かれ晩《おそ》かれ一所にしようと思ッてるとこですものヲ」ト、ズット粋《すい》を通し顔でいるところゆえ、今文三の説話《はなし》を听《きい》て当惑をしたもその筈の事で。「お袋の申通り家《うち》を有《も》つようになれば到底《とうてい》妻《さい》を貰わずに置けますまいが、しかし気心も解らぬ者を無暗《むやみ》に貰うのは余りドットしませぬから、この縁談はまず辞《ことわ》ッてやろうかと思います」ト常に異《かわ》ッた文三の決心を聞いてお政は漸《ようや》く眉を開いて切《しき》りに点頭《うなず》き、「そうともネそうともネ、幾程《
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