玲瓏《れいろう》、座賞の人に影を添えて孤燈一|穂《すい》の光を奪い、終《つい》に間《あわい》の壁へ這上《はいのぼ》る。涼風一陣吹到る毎《ごと》に、ませ籬《がき》によろぼい懸る夕顔の影法師が婆娑《ばさ》として舞い出し、さてわ百合《ゆり》の葉末にすがる露の珠《たま》が、忽ち蛍《ほたる》と成ッて飛迷う。艸花《くさばな》立樹《たちき》の風に揉《も》まれる音の颯々《ざわざわ》とするにつれて、しばしは人の心も騒ぎ立つとも、須臾《しゅゆ》にして風が吹罷《ふきや》めば、また四辺《あたり》蕭然《ひっそ》となって、軒の下艸《したぐさ》に集《すだ》く虫の音《ね》のみ独り高く聞える。眼に見る景色はあわれに面白い。とはいえ心に物ある両人《ふたり》の者の眼には止まらず、唯お勢が口ばかりで
「アア佳《いい》こと」
トいって何故《なにゆえ》ともなく莞然《にっこり》と笑い、仰向いて月に観惚《みと》れる風《ふり》をする。その半面《よこがお》を文三が窃《ぬす》むが如く眺め遣《や》れば、眼鼻口の美しさは常に異《かわ》ッたこともないが、月の光を受けて些し蒼味を帯《お》んだ瓜実顔《うりざねがお》にほつれ掛ッたいたずら髪、二筋三筋|扇頭《せんとう》の微風に戦《そよ》いで頬《ほお》の辺《あたり》を往来するところは、慄然《ぞっ》とするほど凄味《すごみ》が有る。暫らく文三がシケジケと眺めているト、やがて凄味のある半面《よこがお》が次第々々に此方《こちら》へ捻《ねじ》れて……パッチリとした涼しい眼がジロリと動き出して……見とれていた眼とピッタリ出逢《であ》う。螺《さざい》の壺々口《つぼつぼぐち》に莞然《にっこ》と含んだ微笑を、細根大根に白魚《しらうお》を五本並べたような手が持ていた団扇で隠蔽《かく》して、耻《はず》かしそうなしこなし。文三の眼は俄に光り出す。
「お勢さん」
但《ただ》し震声《ふるいごえ》で。
「ハイ」
但し小声で。
「お勢さん、貴嬢《あなた》もあんまりだ、余《あんま》り……残酷だ、私がこれ……これ程までに……」
トいいさして文三は顔に手を宛《あ》てて黙ッてしまう。意《こころ》を注《とど》めて能《よ》く見れば、壁に写ッた影法師が、慄然《ぶるぶる》とばかり震えている。今|一言《ひとこと》……今一言の言葉の関を、踰《こ》えれば先は妹背山《いもせやま》、蘆垣《あしがき》の間近き人を恋い初《そ》めてより、
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