お勢の眼を覚ます者が必要なら、文三を措いて誰《たれ》がなろう?
と、こうお勢を見棄《みすて》たくないばかりでなく、見棄ては寧《むし》ろ義理に背《そむ》くと思えば、凝性《こりしょう》の文三ゆえ、もウ余事は思ッていられん、朝夕只この事ばかりに心を苦めて悶苦《もだえくるし》んでいるから、あたかも感覚が鈍くなったようで、お政が顔を皺《しか》めたとて、舌鼓を鳴らしたとて、その時ばかり少し居辛《いづら》くおもうのみで、久しくそれに拘《かかずら》ってはいられん。それでこう邪魔にされると知りつつ、園田の家を去る気にもなれず、いまに六畳の小座舗《こざしき》に気を詰らして始終壁に対《むか》ッて歎息《たんそく》のみしているので。
歎息のみしているので、何故なればお勢を救おうという志は有っても、その道を求めかねるから。「どうしたものだろう?」という問は日に幾度《いくたび》となく胸に浮ぶが、いつも浮ぶばかりで、答を得ずして消えてしまい、その跡に残るものは只不満足の三字。その不満足の苦を脱《のが》れようと気をあせるから、健康《すこやか》な智識は縮んで、出過た妄想《ぼうそう》が我から荒出《あれだ》し、抑えても抑え切れなくなッて、遂にはまだどうしてという手順をも思附き得ぬうちに、早くもお勢を救い得た後《のち》の楽しい光景《ありさま》が眼前《めさき》に隠現《ちらつ》き、払っても去らん事が度々有る。
しかし、始終空想ばかりに耽《ふけ》ッているでも無い※[#白ゴマ点、213−9]多く考えるうちには少しは稍々《やや》行われそうな工夫を付ける、そのうちでまず上策というは、この頃の家内《かない》の動静《ようす》を詳く叔父の耳へ入れて父親の口から篤《とく》とお勢に云い聞かせる、という一策で有る。そうしたら、或はお勢も眼が覚めようかと思われる。が、また思い返せば、他人の身の上なればともかくも、我と入組んだ関繋の有るお勢の身の上をかれこれ心配してその親の叔父に告げると何《なに》となく後めだくてそうも出来ん。仮使《たとい》思い切ッてそうしたところで、叔父はお勢を諭《さと》し得ても、我儘《わがまま》なお政は説き伏せるをさて置き、却《かえ》ッて反対にいいくるめられるも知れん、と思えば、なるべくは叔父に告げずして事を収めたい。叔父に告げずして事を収めようと思えば、今一度お勢の袖《そで》を扣《ひか》えて打附《うちつ》け
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