そんな事を云ッて置きながら、ずうずうしく、のべんくらりと、大飯を食らッて……ているとは何所《どこ》まで押《おし》が重《おもた》いンだか数《すう》が知れないと思ッて」
昇は苦笑いをしていた。暫時《しばらく》して返答とはなく、ただ、「何しても困ッたもンだね」
「ほんとに困ッちまいますよ」
困ッている所へ勝手口で、「梅本でござい」。梅本というは近処の料理屋。「おや家《うち》では……」とお政は怪しむ、その顔も忽《たちま》ち莞爾々々《にこにこ》となッた、昇の吩咐《いいつけ》とわかッて。
「それだからこの息子は可愛《かわい》いよ」。片腹痛い言《こと》まで云ッてやがて下女が持込む岡持の蓋《ふた》を取ッて見るよりまた意地の汚い言《こと》をいう。それを、今夜に限《かぎっ》て、平気で聞いているお勢どのの心持が解らない、と怪しんでいる間も有ればこそ、それッと炭を継《つ》ぐ、吹く、起こす、燗《かん》をつけるやら、鍋《なべ》を懸けるやら、瞬《またた》く間に酒となッた。
あいのおさえのという蒼蠅《うるさ》い事の無《ない》代《かわ》り、洒落《しゃれ》、担《かつ》ぎ合い、大口、高笑、都々逸《どどいつ》の素《す》じぶくり、替歌の伝受|等《など》、いろいろの事が有ッたが、蒼蠅《うるさ》いからそれは略す。
刺身は調味《つま》のみになッて噎《おくび》で応答《うけこたえ》をするころになッて、お政は、例の所へでも往きたくなッたか、ふと起《た》ッて坐舗《ざしき》を出た。
と両人《ふたり》差向いになッた。顔を視合わせるとも無く視合わして、お勢はくすくすと吹出したが、急に真面目になッてちんと澄ます。
「これアおかしい。何がくすくすだろう?」
「何でも無いの」
「のぼる源氏のお顔を拝んで嬉しいか?」
「呆《あき》れてしまわア、ひょッとこ面《づら》の癖に」
「何だと?」
「綺麗《きれい》なお顔で御座いますということ」
昇は例の黙ッてお勢を睨《ね》め出す。
「綺麗なお顔だというンだから、ほほほ」と用心しながら退却《あとすざり》をして、「いいじゃア……おッ……」
ツと寄ッた昇がお勢の傍《そば》へ……空《くう》で手と手が閃《ひらめ》く、からまる……と鎮《しず》まッた所をみれば、お勢は何時《いつ》か手を握られていた。
「これがどうしたの?」と平気な顔。
「どうもしないが、こうまず俘虜《いけどり》にしておいてどッこ
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