只今《ただいま》直《じき》に」
 ト云ッてお鍋が襖を閉切《たてき》るを待兼ねていた文三が、また改めて叔母に向って、
「段々と承ッて見ますと、叔母さんの仰《おっ》しゃる事は一々|御尤《ごもっとも》のようでも有るシ、かつ私《わたくし》一個《ひとり》の強情から、母親《おふくろ》は勿論《もちろん》叔母さんにまで種々《いろいろ》御心配を懸けまして甚《はなは》だ恐入りますから、今一応|篤《とく》と考えて見まして」
「今一応も二応も無いじゃ有りませんか、お前さんがモウ官員にゃならないと決めてお出でなさるんだから」
「そ、それはそうですが、シカシ……事に寄ッたら……思い直おすかも知れませんから……」
 お政は冷笑しながら、
「そんならマア考えて御覧なさい。だがナニモ何ですよ、お前さんが官員に成ッておくんなさらなきゃア私どもが立往かないと云うんじゃ無いから、無理に何ですよ、勧めはしませんよ」
「ハイ」
「それから序《ついで》だから言ッときますがネ、聞けば昨夕《ゆうべ》本田さんと何だか入組みなすったそうだけれども、そんな事が有ッちゃ誠に迷惑しますネ。本田さんはお前さんのお朋友《ともだち》とは云いじょう、今じゃア家《うち》のお客も同前の方だから」
「ハイ」
 トは云ッたが、文三実は叔母が何を言ッたのだかよくは解らなかッた、些《すこ》し考え事が有るので。
「そりゃアア云う胸の広《しろ》い方だから、そんな事が有ッたと云ッてそれを根葉に有《も》ッて周旋《とりもち》をしないとはお言いなさりゃすまいけれども、全体なら……マアそれは今言ッても無駄《むだ》だ、お前さんが腹を極《き》めてからの事にしよう」
 ト自家|撲滅《ぼくめつ》、文三はフト首を振揚げて、
「ハイ」
「イエネ、またの事にしましょう、と云う事サ」
「ハイ」
 何だかトンチンカンで。
 叔母に一礼して文三が起上ッて、そこそこに部屋へ戻ッて、室《しつ》の中央に突立《つった》ッたままで坐りもせず、良《やや》暫くの間と云うものは造付《つくりつ》けの木偶《にんぎょう》の如くに黙然としていたが、やがて溜息《ためいき》と共に、
「どうしたものだろう」
 ト云ッて、宛然《さながら》雪|達磨《だるま》が日の眼に逢《あ》ッて解けるように、グズグズと崩れながらに坐に着いた。
 何故《なぜ》「どうしたものだろう」かとその理由《ことわけ》を繹《たず》ねて見ると、
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