き》を出て、縁側でお鍋に戯《たわぶ》れて高笑をしたかと思う間も無く、忽《たちま》ち部屋の方で低声《ていせい》に詩吟をする声が聞えた。
 益々顔を皺めながら文三が続いて起上ろうとして、叔母に呼留められて又|坐直《すわりなお》して、不思議そうに恐々《おそるおそる》叔母の顔色を窺《うかが》ッて見てウンザリした。思做《おもいなし》かして叔母の顔は尖《とが》ッている。
 人を呼留めながら叔母は悠々《ゆうゆう》としたもので、まず煙草《たばこ》を環《わ》に吹くこと五六ぷく、お鍋の膳《ぜん》を引終るを見済ましてさて漸《ようや》くに、
「他の事でも有りませんがネ、昨日《きのう》私がマア傍《そば》で聞てれば――また余計なお世話だッて叱《しか》られるかも知れないけれども――本田さんがアアやッて信切に言ておくんなさるものを、お前さんはキッパリ断ッておしまいなすッたが、ソリャモウお前さんの事《こっ》たから、いずれ先に何とか確乎《たしか》な見当《みあて》が無くッてあんな事をお言いなさりゃアすまいネ」
「イヤ何にも見当《みあて》が有ッてのどうのと云う訳じゃ有りませんが、唯《ただ》……」
「ヘー、見当も有りもしないのに無暗《むやみ》に辞《ことわ》ッておしまいなすッたの」
「目的なしに断わると云ッては或《あるい》は無考《むかんがえ》のように聞えるかも知れませんが、シカシ本田の言ッた事でもホンノ風評と云うだけで、ナニモ確に……」
 縁側を通る人の跫音《あしおと》がした。多分お勢が英語の稽古《けいこ》に出懸《でかけ》るので。改ッて外出をする時を除くの外は、お勢は大抵母親に挨拶《あいさつ》をせずして出懸る、それが習慣で。
「確にそうとも……」
「それじゃ何ですか、弥々《いよいよ》となりゃ御布告にでもなりますか」
「イヤそんな、布告なんぞになる気遣いは有りませんが」
「それじゃマア人の噂《うわさ》を宛《あて》にするほか仕様が無いと云ッたようなもんですネ」
「デスガ、それはそうですが、シカシ……本田なぞの言事は……」
「宛にならない」
「イヤそ、そ、そう云う訳でも有りませんが……ウー……シカシ……幾程《いくら》苦しいと云ッて……課長の所へ……」
「何ですとえ、幾程《いくら》苦しいと云ッて課長さんの所《とこ》へは往《い》けないとえ。まだお前さんはそんな気楽な事を言てお出《い》でなさるのかえ」
 トお政が層《かさ
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