「仕様が無いけれども面白く無いじゃないか」
「トキニ、本田の云事だから宛にはならんが、復職する者が二三人出来るだろうと云う事だが、君はそんな評判を聞いたか」
「イヤ聞かない。ヘー復職する者が二三人」
「二三人」
 山口は俄に口を鉗《つぐ》んで何か黙考していたが、やがてスコシ絶望気味《やけぎみ》で、
「復職する者が有ッても僕じゃ無い、僕はいかん、課長に憎まれているからもう駄目だ」
 ト云ッてまた暫らく黙考して、
「本田は一等上ッたと云うじゃないか」
「そうだそうだ」
「どうしても事務外の事務の巧《たくみ》なものは違ッたものだネ、僕のような愚直なものにはとてもアノ真似は出来ない」
「誰にも出来ない」
「奴の事だからさぞ得意でいるだろうネ」
「得意も宜いけれども、人に対《むか》ッて失敬な事を云うから腹が立つ」
 ト云ッてしまッてからアア悪い事を云ッたと気が附いたが、モウ取返しは附かない。
「エ失敬な事を、どんな事をどんな事を」
「エ、ナニ些し……」
「どんな事を」
「ナニネ、本田が今日僕に或人の所へ往ッてお髯《ひげ》の塵《ちり》を払わないかと云ッたから、失敬な事を云うと思ッてピッタリ跳付《はねつ》けてやッたら、痩我慢と云わんばかりに云やアがッた」
「それで君、黙ッていたか」
 ト山口は憤然として眼睛《ひとみ》を据えて、文三の貌を凝視《みつ》めた。
「余程《よっぽど》やッつけて遣ろうかと思ッたけれども、シカシあんな奴の云う事を取上げるも大人気《おとなげ》ないト思ッて、赦《ゆる》して置てやッた」
「そ、そ、それだから不可《いかん》、そう君は内気だから不可」
 ト苦々しそうに冷笑《あざわら》ッたかと思うと、忽ちまた憤然として文三の貌を疾視《にら》んで、
「僕なら直ぐその場でブン打《なぐ》ッてしまう」
「打《な》ぐろうと思えば訳は無いけれども、シカシそんな疎暴《そぼう》な事も出来ない」
「疎暴だッて関《かま》わんサ、あんな奴《やつ》は時々|打《な》ぐッてやらんと癖になっていかん。君だから何だけれども、僕なら直ぐブン打ッてしまう」
 文三は黙してしまッてもはや弁駁《べんばく》をしなかッたが、暫らくして、
「トキニ君は、何だと云ッて此方《こっち》の方へ来たのだ」
 山口は俄かに何か思い出したような面相《かおつき》をして、
「アそうだッけ……一番町に親類が有るから、この勢でこれから其処
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