ノ埋めて懊悩《おうのう》たる物思いに沈んだ。
 どうも気に懸る、お勢の事が気に懸る。こんな区々たる事は苦に病むだけが損だ損だと思いながら、ツイどうも気に懸ってならぬ。
 凡《およ》そ相愛《あいあい》する二ツの心は、一体分身で孤立する者でもなく、又仕ようとて出来るものでもない。故《ゆえ》に一方《かたかた》の心が歓ぶ時には他方《かたかた》の心も共に歓び、一方《かたかた》の心が悲しむ時には他方《かたかた》の心も共に悲しみ、一方《かたかた》の心が楽しむ時には他方《かたかた》の心も共に楽み、一方《かたかた》の心が苦しむ時には他方《かたかた》の心も共に苦しみ、嬉笑《きしょう》にも相感じ怒罵《どば》にも相感じ、愉快適悦、不平|煩悶《はんもん》にも相感じ、気が気に通じ心が心を喚起《よびおこ》し決して齟齬《そご》し扞格《かんかく》する者で無い、と今日が日まで文三は思っていたに、今文三の痛痒《つうよう》をお勢の感ぜぬはどうしたものだろう。
 どうも気が知れぬ、文三には平気で澄ましているお勢の心意気が呑込《のみこ》めぬ。
 若《も》し相愛《あいあい》していなければ、文三に親しんでから、お勢が言葉遣いを改め起居動作《たちいふるまい》を変え、蓮葉《はすは》を罷《や》めて優に艶《やさ》しく女性《にょしょう》らしく成る筈《はず》もなし、又今年の夏|一夕《いっせき》の情話に、我から隔《へだて》の関を取除《とりの》け、乙な眼遣《めづかい》をし麁匆《ぞんざい》な言葉を遣って、折節に物思いをする理由《いわれ》もない。
 若し相愛《あいあい》していなければ、婚姻《こんいん》の相談が有った時、お勢が戯談《じょうだん》に托辞《かこつ》けてそれとなく文三の肚《はら》を探る筈もなし、また叔母と悶着《もんちゃく》をした時、他人|同前《どうぜん》の文三を庇護《かば》って真実の母親と抗論する理由《いわれ》もない。
「イヤ妄想《ぼうそう》じゃ無い、おれを思っているに違いない……ガ……そのまた思ッているお勢が、そのまた死なば同穴と心に誓った形の影が、そのまた共に感じ共に思慮し共に呼吸生息する身の片割が、従兄弟《いとこ》なり親友なり未来の……夫ともなる文三の鬱々《うつうつ》として楽まぬのを余所《よそ》に見て、行《ゆ》かぬと云ッても勧めもせず、平気で澄まして不知顔《しらぬかお》でいる而已《のみ》か、文三と意気《そり》が合わねば
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