tけで是非色狂いとか何とか碌《ろく》な真似はしたがらぬものだけれども、お勢さんはさすがは叔母さんの仕込みだけ有ッて、縹致は好くッても品行は方正で、曾て浮気らしい真似をした事はなく、唯一心に勉強してお出でなさるから漢学は勿論出来るシ、英学も……今何を稽古《けいこ》してお出でなさる」
「『ナショナル』の『フォース』に列国史《スイントン》に……」
「フウ、『ナショナル』の『フォース』、『ナショナル』の『フォース』と言えば、なかなか難《むつか》しい書物だ、男子でも読《よめ》ない者は幾程《いくら》も有る。それを芳紀《とし》も若くッてかつ婦人の身でいながら稽古してお出でなさる、感心な者だ。だからこの近辺じゃアこう言やア失敬のようだけれども、鳶《とび》が鷹《たか》とはあの事だと言ッて評判していますゼ。ソレ御覧、色狂いして親の顔に泥《どろ》を塗《ぬ》ッても仕様がないところを、お勢さんが出来が宜いばっかりに叔母さんまで人に羨《うらや》まれる。ネ、何も足腰|按《さす》るばかりが孝行じゃアない、親を人に善く言わせるのも孝行サ。だから全体なら叔母さんは喜んでいなくッちゃアならぬところを、それをまだ不足に思ッてとやこういうのは慾サ、慾が深過ぎるのサ」
「ナニ些《ち》とばかりなら人様《しとさま》に悪く言われても宜《いい》からもう些《すこ》し優しくしてくれると宜《いいん》だけれども、邪慳《じゃけん》で親を親臭いとも思ッていないから悪《にく》くッて成りゃアしません」
 ト眼を細くして娘の方を顧視《みかえ》る。こういう眺《にら》め方も有るものと見える。
「喜び叙《ついで》にもう一ツ喜んで下さい。我輩今日一等進みました」
「エ」
 トお政は此方《こなた》を振向き、吃驚《びっくり》した様子で暫《しば》らく昇の顔を目守《みつ》めて、
「御結構が有ッたの……ヘエエー……それはマア何してもお芽出度《めでとう》御座いました」
 ト鄭重《ていちょう》に一礼して、さて改めて頭《こうべ》を振揚げ、
「ヘー御結構が有ッたの……」
 お勢もまた昇が「御結構が有ッた」と聞くと等しく吃驚した顔色《かおつき》をして些《すこ》し顔を※[#「赤+報のつくり」、74−9]《あか》らめた。咄々《とつとつ》怪事もあるもので。
「一等お上《あがん》なすッたと言うと、月給は」
「僅《たった》五円違いサ」
「オヤ五円違いだッて結構ですワ。こう
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