になりました、私は寝ずに縫物をしながら待つてゐました。昨夜よく寝たので、いつもと違つて眠くなりません。
Oは妻に文芸倶楽部をくれた。
○
六月三十日
朝、例の如く本を取るため帰宅。
昼飯後、妻がいろんなものを持つてやつて来た。Oに、食事の用意はいつでも出来てゐる。それにちつとも遠慮することはない、尚お望みならお酒も差し上げる、と云ふやうに勧めた。
さう妻に云つたのは、Oは出歩くため金が又すぐ無くなつてしまふなどと妻が云ふからだ。尤も妻はそれを別段気に懸けてゐないやうな調子で云つた。
本当に気に懸けてゐないのか、努めて気に懸けてゐないやうな風をしただけなのか、私にはわからない。
妻は又、Oがわざと私を訪ねようともしないのを見ると、私が下宿に移つたのがOの気を悪くしたのでないか、といふ懸念を漏らした。私は、俺の為にどうかOを大事にしてやつてくれと云つた。……さうして何か意地悪の気持を感じた。
晩にOがやつて来た。
Oは、石灯籠の買手が見附かつたことを初めて私に知らせた。
私は、Oが仕舞には妻のことに触れるやうに話を運んだ。妻が絶えずOのことを心配してゐるといふことをわからしてやらうと思つたのだ。しかし妻の話が出る度に、Oは笑つて何も云はない。それが私には、Oの方も大分変だし又怪しいと思はれた。
二十七日の対話以来、妻はOの話が出る度に打ち沈むやうに見える。Oに就いて色んな話をするにも拘らず、少しも感情を面に表はさない。
あの会話をするまでは妻がOの居合せないところでOの話をする時はいつも顔を輝やかして大層嬉しさうだつた。しかしあれ以来妻はそんな顔をするのをやめた。
私は妻との親密な交渉をやめることに決心した。
○
七月一日
Oは十二時前に帰宅したが、それから暫く昼間行つて来たカワラの話をしてゐたので、一時頃まで床に就けなかつた、と妻は云ふ。
妻は尚報告した。Oは今朝妻を暫く二階の自分のところに引き留めて、ズボンの繕ひを頼んだ。それでOの単純さを別に悪気もなくからかつた。更に妻はOのことを沢山話したが、別段非難はしなかつた。Oは妻に洗濯や裁縫を頼んだ。
母も私にそのことを非難を以て話した。母は、Oは永いこと『子持を引附けて置いた』、結局私だけが一番面倒な目に会ふ、と云ふ。
オサダ(長田?)は私に近いうちに出発するといふ葉書を書いた。(それは出さずにしまつた。)
それで私はやゝ安心した。
母は今からもう喜んでゐる。
妻はそれを報告した時ちつとも感情を面に表はさなかつた。
母は晩に高木さんへ行つた。
晩になつて雨が降つた。
Oが母より早く帰つたかどうか、私は知らない。……雨が降らなかつたら、私は帰つて来たところだが……
妻は、自分が何時私のところへ来たのか思ひ出せない。昨日だつたか一昨日だつたか……妻が若し私のことを思つてゐれば、そんなことは無い筈だ。それが私にいやな思ひをさせた。
ともかくこの日妻はいかにも落著き払つてゐた。妻が内心何を感じてゐるか様子を見ただけでは誰にもわかるまい。
私はOは妻が好きだし妻はOが好きだから、二人の関係は暫くそのまゝ続くだらうと、再び確信した。
○
三日、私は終日涙を流してゐた。
四日、妻との夫婦としての交渉を絶つことを妻に申し渡した。
五日、妻は半ば告白した。
妻は日中トミを連れて来た。あなたが自分をそんなに悩ましてゐる事実を一々落著いて穿鑿して見たなら自分の間違ひに気が附くんではないかしら、と妻は云ふ。私はさうだともさうでないとも云つた。Oに対する妻の態度が依然として、私が想像してゐるやうな重大な変化を来たしてゐないといふ意味では、さうだと云えるが、妻の心に愛の芽があつてもやはり妻を疑ふことができないといふ意味では、さうではないと云へる。すると妻は又恐ろしく腹を立てた。トミは倦きて泣き出した。妻は帰つて行つた。
晩に妻が一人で又来て告白した。
妻の話では、Oが浜口のところへ行つた晩遅く帰つた。十二時過ぎになつた。妻は二階のOのところへ行つて四十分間(即ち一時まで?)ゐた。何故Oのところにそんなに永くゐたのかそれは思ひ出せない、と妻は云ふ、妻はそのことを今日の夕方小さい小供の寝顔を眺めながら考へた。
玄関で妻がOと出会つた。Oの顔を見ると妻は全身にぞつと悪寒が走るやうな気がした。
○
五日、妻の本当の懺悔。
妻はOの側に四十分間立つてゐた。
どんな風に時が経つたか忘れた。
妻はOに対して一度も憤りを感じたことがない。
○
Oは私を訪ねることを喜ばなかつた。
Oは、何故出発を延ばしたのか私に話さなかつた。
Oは私が居合せない時だけ賑かに喋
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