主人のやうに思はれて来る。だから勢ひそんな不手際な態度も出て来るのである。


     ○
   七月二日
 Oは五時頃帰つた。
 殆んど私が出懸ける間際まで階下に私と一緒にゐた。
 Oの私に対する態度には別段取立てて云ふ程のこともなかつたが、二人を見てゐて私は、Oが妻と二人だけの時はいつも賑やかに喋つてゐるのに、私がゐると無口になつてしまふのだと考へた。

 ともかく、大体の印象はよかつた。妻は大体Oに対して遠慮なく振舞つてゐた。私の目の前で妻はOの『襟』まで直してやつた。

 私は妻にわざと、お母さんが厭な顔をしても構はないからお前は一所懸命にOの世話をしてやつてくれ、と頼んだ。

 それに、変に思はれたのは、妻が母のことで不平を云ふ時Oの棚下ろしもしさうなものなのに、それはやらないことだ。まるで母だけが悪い人のやうに聞える。
 ところが本当を云ふと、母にも幾らか言分がある。

 妻は又、私が晩にOの側に坐つてゐてもお母さんは悪い顔をしません、と云つた。

 Oは私がゐると滅多に笑はないが、妻と一緒に時を過ごしてゐると二人で始終笑つてゐる。妻は云ふ、二階で私の笑ひ声がすると、お母さんはすぐ、私が二階で油を売つてゐるとお考へになるのです。


   七月二日
 夕飯のため帰宅。
 母は昨晩八時半頃に帰宅し、Oは四時半頃帰つたことがわかつた。小供達は六時半頃に寝たから、多分約二時間は二人だけでゐたことになる。

 妻は母の遣り口を訴へて云ふ。今朝だか一昨日だか覚えてゐないが、妻がOのところに暫く坐つて、Oのズボンを繕つてゐると、母が仕事が済んだら一寸お出でと云つて寄越した。妻はOの前で大変きまりの悪い思ひをした。更に妻の話では、母が世話をしてくれないので赤ん坊はいつまでも泣きやまなかつた。そこでOは、私が小供のお守をしてやる方がいいのだらう、と云つた。それで又大変恥しかつた。
 妻は云ふ。お母さんは、私が『酔興』であの人の世話をしてゐるとでもお思ひなんでせう。お母さんの考へでは、親切なんて余計なものなんでせう。……

 妻は又云つた。丁度私が下宿に移つた二十七日の晩から月経が始まつて、それがまだ終らない。出血は私の移る前数日の間続いて、移る前日、即ち二十六日には止まつた。変だ。

     ○
 私が田舎から家へ帰ると、妻は急に肺病患者のやうな咳をし始めた。
 Oはひつきりなしに咳をしてゐる。咽喉の病気だ。
 この二つの事実の比較して私は……尤も私は間違つてゐるかも知れない。咳は咳でも妻の仕方とOの仕方は違ふから。

  手紙

     ○
  妻は横山には別の態度を取つてゐる。

  私が妻を何かで叱つたら、Oはそれを庇つた。


     ○
   六月二十七日
 明日はどんな事があつても下宿へ行くと妻に申し渡した。
 妻は私のこの言葉を平気な顔をして聴いた。私が幾らかためらつてゐると、妻は、どうせさうしなければならないんだから決めたことはさつさと実行する方がいいと云つた。
 二階へ行つて話すと、Oはさうかと云つたきりであつた。
 妻も上つて来た。Oは私よりも妻と余計話した。妻が赤ん坊の泣声を聞きつけて下りて行くと、我々二人は執拗に沈黙した。両方に具合の悪いこの沈黙を破つたのは私の方だつたらしい。
 私は寝ようと思つて階下へ降りた。六畳の小さなランプがまだ消してないのに気がついたから妻にまた起きるのかと訊いた。妻は、Oには別にして上げることもないから起きません、どうぞランプを消して下さいと云つた。妻からそんな返答をされると、私は意地悪に似た不思議な感情に捉へられて、Oはまだお茶が欲しいかも知れないから一杯持つて行つて上げる方がいい、と云つた。
 それから間もなく妻は起きてOのところへお茶を持つて行つた。十一時頃である。
 行つたと思ふと中々帰らない。初めは二人の話声が聞えてゐた。やがてそれが途切れがちになつた。つまり話がはずまないのだ。
 十二時過ぎに赤ん坊が泣き出した。妻はその時やつと帰つた。四十分許りOのところにゐたことになる。

 それから小供が又寝入つた。私と妻の間に頗る注目すべき対話が行はれた。

  妻との対話

     ○
  二十七日夜、妻と注目すべき対話。豆の話。


  二十八日?
 妻が小供達を連れて来る。
 敷布の赤いしみが私には怪しく思はれる。
 妻はそれを取り換へに来たのだ。
 私が今日引越しすることを知つてゐる筈なのに、妻は私を待たずに赤ん坊を連れて髪結に行つた。
 私は妻の留守中に引越しをした。
 眠れなかつた。一晩中Oのこと、妻のことを考へた。


     ○
   六月二十九日
 朝、蚊帳を買はせるため帰宅した。
 妻は蚊帳を持つて来た。
 妻は云ふ、Oは昨夜遅く帰つてすぐお寝み
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