んなさい、二人きりですよ、女中さんはもう寢てゐますし、この家では夫婦とも二階の舞踏會に行つてますから。
クログスタット (室に入つて來ながら)はゝあ! それぢや、ヘルマー夫婦は今夜、舞踏會に行つてますか。さうですかい。
リンデン えゝ、踊りに行つてたつていゝぢやありませんか。
クログスタット いゝですとも。何で惡いものですか。
リンデン ぢやちよつとあなたにお話がしたいんですが――
クログスタット 私たち二人の間に話があるといふのはなんですかな?
リンデン 澤山ありますよ。
クログスタット 別にあるはずもないと思ふがな。
リンデン それは、あなたが私を本當に理解して下さらないからです。
クログスタット 理解することが何かありますか。これほど當り前のことはなかつたでせう?――薄情な女が好い相手を見つけて前の男を捨てゝしまふ。
リンデン あなたは實際私をそんな薄情者だと思つていらつしやるの? 私があなたと別れたのはそんな簡單なことだつたと思つていらつしやるの?
クログスタット 簡單ぢやありませんか。
リンデン 本當にさう思つてらつしやるのですか?
クログスタット もしさうでないなら、なぜあんな手紙をよこしました?
リンデン だつて、あれが一番いゝ手段ぢやありませんか? 別れなくちやならない事情になつた以上、私に對するあなたの愛をなくさすのが一番よかつたでせう。
クログスタット (自分の兩手を握りしめながら)さういふわけでしたか? そしてその起りといへば――皆、金のためだ――
リンデン 私には頼りない母と二人の弟があつたことをお忘れなすつちやいけませんよ、私達はあなたの行末を當にして待つてゐるわけには行かなかつたのです。
クログスタット それであなたには、私を捨てゝ他人に見更へる權利があるのですか。
リンデン どうですか、私もそのことについては、折々自分が惡かつたか知らと思ひ直してみます。
クログスタット (一層柔かに)あなたに捨てられた當座は、大地が足の下から沈んで行くやうな氣持でした。まあ私を見て下さい、私は今ぢや帆柱にすがりついてる難船者だ。
リンデン あなた、すぐ傍まで救助船が來てるかも知れませんよ。
クログスタット 何、來かゝつてゐたんだ。ところへあなたが出て來て邪魔をしてしまつたんだ。
リンデン 私はちつとも知らなかつたのですよ、あなた。あの銀行で私と入替にさ
前へ 次へ
全74ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島村 抱月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング