u人生を如何にすべき」「我が生を如何にすべき」といふやうな、もだもだしい心持である。この心持の中には、社會問題でなく、人生問題が包まれてゐる。人生觀の思想が暗示せられてゐる。すべての近代藝術は、この意味において思想藝術であり、問題藝術である。『人形の家』も先づこの意味において問題劇でなくてはならない。イブセンが千八百九十八年五月二十六日クリスチアニアのノールウェー女權同盟の祝賀會でした演説に、
「私は女權同盟の會員ではありません。私の書いたものには一として主張を廣めるためと意識して書いたものはありません。私は世間の人が一般に信じようとしてゐるよりもより多く詩人で、より少く社會哲學者であります。皆さんの祝杯に對しては感謝いたしますが、ことさらに女權運動のために働いたものとしての名譽をば辭退するほかございません。私は一體女權運動のいかなるものであるかをすら、實際十分に明かにしてをりません。私はこれを廣く人間の問題であるとみました。注意して私の著述をお讀み下すつたら、この意味がわかるだらうと思ひます。もとより女權問題も、他の諸問題と同じく、これが解決は望ましいことでありますが、しかしそれが目
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