オて顏蒼ざめ、議論をしたり、喧嘩をしたり、喰つてかゝつたりしながら劇場を出た。
 といつてゐるのは、もつて、この劇がはじめてイブセンの本國で演ぜられた時、世間の問題を刺戟したことの如何に激烈であつたかを想見するに足る。ただにスカンヂナヴ※[#小書き片仮名ヰ、132−1]アのみならず、歐洲の諸國にわたつて、近代の婦人問題を刺戟した、最も有力なものの一はこの劇である。問題劇としての效果はこれで遺憾がないといつてよい。
 けれども、唯それだけでは藝術としての特權がない。その問題なり思想なりの奧から放射してゐるものがなくては、これと似た效果を生ずる一場の煽動演説と何の區別もないことになる。藝術の力はもつと根柢から發するものでなくてはならない。そもそもそれがあればこそ、一篇の『人形の家』もあれほどの刺戟力を有し得たのである。
 藝術の奧から放射してゐるものは生命の光りであり、生命の熱である。藝術は生命の沸騰そのものである。
 生命の沸騰はその個人の全人格に震動を與へて、そこに思想感情の深い覺醒を生ずる。ほとんど思想であるか感情であるかわからないほど深奧な心持を經驗する。假りにこれを説明していへば
前へ 次へ
全37ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島村 抱月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング