飜して家に留まつたとしても、それが決して幸福を齎らす所以ではない。といふ意味をこの作に求めようとするのである。
 またノラとヘルマーと、對當の自覺ある個人として結婚したのでないやうな場合に、結局どうすればよいか。この問題に、イブセンが一の解釋を與へたものと言はれる作は、『海の夫人』である。この劇では、エリーダが同じく不當の結婚を自覺し、それから脱して自由な神祕な海の情人の方へ引つけられやうとする。已むを得ずして、夫※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ングルは、それでは自由にしてやるから、一切の責任をエリーダ一人で負うて進退を決せよといふ。自己の自由を許され、責任を負はされて見ると、はじめて夫の家を去るのが自分の本望でないことがわかり、獨立した一個人として改めて夫や先妻の子供等と愛を誓ふ。先づ獨立した自由な一個人になる、その上でほんたうの愛が成りたつたら、そこにほんたうの結婚も成り立つ、といふのがその解釋である。
 こんな風に、婦人の自覺問題、解放問題、結婚問題としてほとんど論文を讀むやうな態度でこれ等の作に對するのがイブセンの本意でないことは前に言つた通りであるが、それと同時に、そ
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