フ奧から放射してゐる人間の光り、生命の熱ともいふべき力が、これ等の問題と切り放ち難い關係を持つてゐることも明かである。この點からいへば、『人形の家』『幽靈』『海の夫人』の三作は、相通じて一の哲學を成すとも見られる。
八
イブセンの死後、千九百九年に彼れの作の草稿が公にせられた。その中に『人形の家』もある。今その最後の草稿と思はれるものと完成した『人形の家』とを比較してみると、種々の點に興味がある。その草稿は『近代悲劇稿』と題し、千八百七十八年十月十九日、ローマにてとして、まづ次のやうな着想が書いてある。
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精神上の法則に二種ある、二種の良心である、一は男子に、他の全く異なつた一は女子に。男子と女子とは互に理解しないで、實際の生活では、女子は男子の法則で判定せられる、あたかも女でなくて男ででもあるやうに。
この劇中の妻君は何が正で何が邪であるかの觀念を有しないで終る。一方には自然の感情、一方には權威に對する信念が、全然彼の女の歸趨に迷はしめる。今日の社會では女子は女子たることが出來ない、今日の社會は全然男性の社會で、法律は男が造り、男性の見地
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