オて、悲しげに、「氣の毒な人!」といふのが終りである。妻が家を出る前後の樣子や、そのあとでの夫の樣子などまで、『人形の家』のノラとヘルマーとの場合に、どこか似たところのあるのは事實である。けれどもイブセンが『人形の家』を書くとき『謀叛』を讀んでゐたか否かは知る由がないから、『人形の家』を『謀叛』から脱化し、若しくは『謀叛』に似せたものだとはいへない。證據のない限りは無關係なもの、暗合したものと見ておくのが至當である。イブセンが、つい十年前に出た他人の作の外形を摸倣する人とも思へないし、著想はすでに『謀叛』よりも早い自作の『青年同盟』に明かにその端緒を見せてゐるのである。かつ『謀叛』は劇としての價値も到底『人形の家』に及ばない。その滑かな饒舌の臭を帶びた臺詞も古いし、感情の誇張、粗大なところも古い。やはりイブセン以前の物といふ感じを免れない。劇の結末は兩者全く相違してゐるのは言ふまでもないが、『謀叛』の結末は、『人形の家』のノラが家を出たきりでその後どうなるであらうかといふ問題をあとに殘してゐるのに比して、答を與へた趣がある。けれどもそれは、エリザベットが悟りを開いて滿足して歸つてきたの
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