に逆戻りした。時子は不意な事実の前に忌々《いまいま》しさをこらえねばならなかった。(昨夜、若い高等学校の学生の一群の席で、眼鏡をかけた元気のいい生き生きした髭などの少し青みがかった男が――それをすっかり忘却してしまっていたのであった!)時子はちっと舌鼓をうって言った。
「お茂ちゃんは品がいいのですからね」
お茂は辛そうに顔をゆがめて黙した。こんなとき冬子でもいてくれればと彼女は思った。お茂には、嫌だ嫌だと思う圧迫のみが強くて、その圧迫につき動かされて反抗し開拓してゆく力がなかった。小妻のようにあきらめ切って傍観する余裕をもつには年が若すぎ、冬子のように重苦しい威厳と沈黙で制えつけるには天稟が恵まれていなかった。お茂は泣きそうなのを堪えて茶の間へ出て来た。時子も出て来た。
「冬子姐さん、お早う」茂子は言った。
「お早う――あ、お茂ちゃん、わたしの小母さんよ。これから仕事に来て下さったのですの」
冬子は、黙って怒ったように楊枝を使っている時子にも声をかけた。
「時ちゃん、あなたもどうぞよろしくね」
「ええ」
時子とお茂は台所へ去った。お茂がお光に腰をかがめてゆくさまはいじらしかった。
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