想を知らないようではだめだ!」と一時間をアレキサンダーの話でうずめること位は平気だった。E氏という二十二、三にしか見えない教師は英文法の講義しながら、
「僕の言っていることにどれだけ信用がおけるかは疑問である。この秋には僕もアメリカへ行きますから、帰ったら少しは本当のことを言えるかも知れません」と言った。京都の同志社を出たばかりの青年だったのだ。みな教師と言う気はしないらしかった。学校を出たのが昨日のような気のする連中だった。平一郎にはそれが嬉しかった。中年以上の人では学校の幹事の田中氏が聖書を、漢文をもと熊本の士族で同じく幹事であるK氏、自分一人で基督教主義の小学校を経営している柔和な老人の習字の教師、フランスへ青年時代に洋行して来たという古びた天鵞絨《ビロウド》の服を着て来る古い洋画家のF氏――そうした人達が平一郎に教えた。彼らは快活で楽天家だった。
それよりも平一郎に深い印象を与えたのは、「礼拝」と「聖書の講義」である。高等学部裏のどんぐり林を横ぎって、新しい会堂の地下室の薄暗を通って階段を上ると、高い丘陵と橙色、紫、青、深紅の色硝子の窓の照り返しと、雄渾な大理石の円柱とによっ
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