穿いて大急ぎで出かける。出しなには粂がいっていらっしゃいと言った。門を出て左手の坂を下りればM公爵の家の横道だが、彼は右に折れて同じ邸街をO伯爵の深い林を廻って二本榎のK宮殿下の宮殿の通りに出る。広大な邸ばかりの街を通りながら感じることは(これでいいのか?)という想いである。彼は自分の母や春風楼や『底潮』の人々のことを考えたからである。彼はまた若い少女の群に出あう度にもしや和歌子が居やしまいかしらと振り返ってみた。あまりによく似ているようで、「あなたは和歌子さんではないですか」と言おうとして、嫁にいった和歌子が女学生であるわけがないと思い返して寂しくなったりした。学校へみちびく坂を下りると、新しくはいった平一郎をまるで知らない筈の人達がみな「お早う」と悦ばしげに礼をして行く。平一郎には嬉しいことだった。(まだ誰一人なじみのない彼は、毎朝校舎の横手の青々した芝生に坐ってみたり、高等学部の前の記念樹の間をぶらついて、運動場でキャッチボールをしている人達を見やって親愛と征服の想いに瞳を輝かせたりして響きの懐かしい鐘の音を待った。(本当の精神的な力はどうか知らない。温かい若々しさに恵まれている
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