動かして来るのをどうにも出来なかった。(母を去って来たからだ。明日食う米がなくても母の傍にさえいれば感じなくともすむ淋しさだ。)それに何とも知れぬ天野夫人への執着が湧いて来た。彼はそうした複雑な感情で窓先の山茶花の葉を眺めていた。粂は彼の耳許で、彼は毎朝起きてから自分の部屋と廊下と前庭の掃除をすること、ときどき風呂の焚きつけをしなくてはならないこと、学校から帰ったあとはもう来訪者があればその取次をしなくてはいけないと話した。やがて邸中の女中が七人、一人ずつ初対面の挨拶をして行った。奥山が一々まことらしく、「よろしくたのむ」を繰り返したのである。
「何という己は意気地なしの馬鹿だろう! いけない!」彼は一人になったとき襲ってくる悪霊を払いのけるように手を振り廻して、柳行李の紐を解いて硯やペンを取り出した。そして、母と深井と尾沢へ東京へ来てはじめての簡単な通信を書きはじめた。(ああ和歌子へ知らしたい。彼女はとにかくこの東京にいるのだろうに!)
八時過ぎに天野は自動車で帰って来た。平一郎は女中達と一緒に彼を出迎えたが、彼は見向きもせずに奥へ入ってしまった。彼はその「冷淡さ」の裏に下松町があ
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