いであろう。山林の槲《かしわ》の木はたとえその木の年寿が若くともそこらに生い茂る雑草や灌木よりは偉大であるように、十六の平一郎は無意識に内より湧く生命のままに生きて来たが、はやくも若木は社会の制約に障えられねばならない。それが槲の木の運命である。彼は夢からさめたような、未知の原野に立って広大な野面を望んだような雄大な向上感と発見感とを一身に体感していた。
「どう悪いのか。悪いことを自分は犯した覚えはない。己は学校においてそんなによくない生徒であろうか。己はそんなに勉強家と言われないかも知れないが、決して怠け者でない。己は先生方が軽率であったり下劣であったりする時にこそ内心軽蔑はしたものの、衷心自分達の師としての敬礼は失わなかった。己は和歌子を愛した。そうだ愛したのだ――恋したのだといっていい! しかし恋したことがどうして悪いのであろう。恋したことを打ち明ける、それは悪いことであろうか。己のあの手紙を体操の教師は艶書だと言って罵った。己は艶書だという教師の意味でならそうでないと言おう。しかし恋を打ち明ける手紙を指すなら厭な言葉だが己は神聖な艶書だと言おう。己は未だかつて和歌子の美と崇厳を
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