の結婚問題が北野家に燃え上った。伝右衛門の遺書にはお信の兄であり、容太郎の母の兄である青木の家の二女のお里を貰ってくれとあった。そしてその第一の主張者はお信自身であったとは。
「お里さんを貰った方がようございましょう」
「それは本気だろうか。それで俺とお信さん、あなたとの間はどうするつもり」
「今まで通りでいいでしょう」
「馬鹿な!」
「どうして?」
「お信さんは一生土蔵の薄暗いところで俺と会うつもりかな」
 お光は、彼女の父母である容太郎とお信のこうしたシーンの心持を思いやって父母の苦しい心に息づまるような思いがした。
「そうでないとね、いつか二人の間が村の人に知れるか、どんなに用心していてもわたしに子でも出来てごらん、そうすれば二人は死ぬより外に道はなくなるでしょう」
「それじゃどうしろと言うのだ」
「それよりかお里さんを貰って村の衆達を納得させて置いてから、わたしをほんのあなたの召使のようにお傍に置いて下さったらよいでしょう。わたしは一生人に謗《そし》られて日影で暮すことを何とも思やしません。容さんの身分でわたし一人を世話する位は、お里さんを貰ったあとなら誰も見逃してくれることですから」そう言って辛そうに泣いたお信の切なさは一生お光にはわかるような気がした。
 お里は肉付のいい快活な田舎娘で、北野家に嫁入りしたことを一生の誉と思って、一日中快く働いた。お信を、「叔母さん、叔母さん」と母に仕えるように大切にした。しかしお信が次の年、どうにも妊娠をかくし切れなくなったとき、お里は初めお信の相手が誰であるか理解できなかったほどに単純な心の主であった。ある夜、恋しい夫である容太郎からお信の相手が実に彼自身であることを打ち明けられて、「仲よくしてくれ、な、お里」と言われたときのお里の世界が火焔を吹いて燃え上ったような感じは、お光が年とってからも涙ぐまずにいられないいじらしさをもって迫って来た。彼女は悲しい涙の味を知ったであろう。そして次の朝から世界は別な深味をまして彼女を迎えたであろう。田舎娘の単純な質朴さはお信に憎しみよりも妬《ねた》みを感ぜしめた。しかし妬んでも仕方がないと知ったとき、彼女は哀れ深い様子をして召使のような従順さでお信に奉仕した。お里のいじらしい心を見て、罪深い二人は深い溜息を漏すより外に道はなかった。しかも容太郎は新鮮な果実のようなお里の心や肉体よりも、廃《すた》りかけた蒼白な馴染深いお信の魂と体を愛さずにいられなかった。
 お信が中年の苦しい初産で生み落した嬰児は、頭ばかり青ぶくれな身体の小さい、泣声のひひひという汚ない男の児であったという。それがお光の兄にあたるのであった。お光はお光が生まれない以前のあるひとときを想像することが好きであった。それは丁度秋十月の末頃であらねばならなかった。一年の辛労の報償を暮れ易い秋の日に取り入れなくてはならない百姓達は晩《おそ》くまで野に働いていた。地は一面に誇らしい黄金色の稲穂の波をうねらせている野面が北野家の奥座敷から木の間隠れに見わたされる。
「お信さん、どんな工合ですかね」
「大分いいようですよ」お信は蒼白い痩せた頬にすまないような寂しい微笑を湛《たた》えて、お里が抱いている嬰児を見向きもしない。
「ちっとも自分の子のように可愛いい気のしない子だよ。その子はお前さんの子ですのね」
「そうして戴けたら、わたし嬉しいですけれど――いい子だこと」
 お里は青ぶくれのした嬰児の頬に自分の赤らんだぽた/\した頬をすりあてていた。
「おかしいのよ。ちっとも自分の子が可愛くないのだから――傍へよると何だかむさい[#「むさい」に傍点]匂いがするじゃないの?」
「ひどいお母さんだわね。わたしが可愛がってあげますから。容一郎さんというの、北野家の大切の大切のお世嗣《よつ》ぎですのね」お里は容一郎をあやしているうちに泣きたい気がして来た。お信も涙をにじませていた。庭園の立木を透して降りそそぐ秋の夕日は寂しく二人を照した。
「ほんとにその子をお里さんにあげましょうか」
「ええ、ええ、容一郎さんはわたしの子ですのよ」二人は憎み合えないだけ、それだけ胸の痛手を深く秘めて寂しがっていなくてはならなかった。もう叔母と姪でなく、女と女、一人の恋しい男を守る二人の女であった。
「お里さんにも一人出来てもよさそうなものですのに」
「ええ」お里は恥と口惜しさで俯《うつむ》いて心では祈っていた。しかしお里には子は授からなかった。
 次の年お信はまた生んだ。そうしてその出産はお信の生命の奪い手でもあった。しっかりと抱きあった、まる/\肥った健康らしい女の双児は、生まれ出るためにあまりに多くの血を母より奪ったのであった。忌わしい恋のために一生を捧げたお信は「あ」と言って閉じた双の瞳にちら[#「ちら」に傍点]と青
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