にはいられなかった。自分の行き過ぎていった青春を歎く涙、さらには娘の頃の青春をこうした境界に身を置いて、あの純真な初恋らしい恋一つ知らないで、美しい肉体を毎夜毎夜の勤めに腐らしてゆく若い人達の身。まだしも自分の方が彼等よりも幸福であったかも知れないと思ってみた。がその僅かな小さい追想に伴うほこりに似た感情は、腰から下腹部にあたって引きつるような疼痛を感じたときに根柢から破れてしまった。太陽の光にさらされて脂じみた襦袢と色のさめた赤い下着との間からあらわれた自分の蒼白な胴や胸廓の痩せこけた肉や、萎びて皺のよった皮膚や、一枚一枚暗いひだ[#「ひだ」に傍点]をつくって見える肋骨の骨ぐみなどを見ていると、自分の多少幸福であった娘の頃はもう遠い別の世界での事実でしかなくなったことが確かめられた。今の自分は――、激烈な疼痛がきり/\と身を引きしめる。彼女は歯を喰いしばってその痛みを忍耐した。痩せ細った青白い萎びた小さな両手にねち/\した汗がにじみ出た。骨髄に沁みこんだらしい悪性な病患がもう汝は永いことはないのだと身体の深みから唸り声を発しているのだ。彼女は汗のにじみ出た全身を拭う気力もなくて、その汗が客をとる時の、あの死ぬ方がよいと思う汗にも似ていることに浅ましさを見出していた。そしてまた、枕に頭をつけて眼をとじて眠ろうと試みてみた。もう時は十一時近くであった。街のあっちこっちに戸を開け、雨戸を開ける音が響いた。あーふっと何処かで大きな欠伸をしているのが聞えた。小妻は気を取り直して、起き上がり、肌着の上から乳の下の辺へ赤い細紐をしめて、そっと茶の間へ出て来た。茶の間の囲炉裡には楼主が朝早くおこしておいたらしい炭火が焔を吹いておこっていた。彼女は莨を不味そうに吹かして、窓から射す光線の暖かみを身に快く感じていた。台所では婆やが今起きたらしく板を踏む音がぎし/\する。そのぎし/\に耳を澄ましていると、遠くから別な板を踏む足音が近づいて来た。小妻はぼんやりそれを聞いていた。考える力さえなかった。冬子が現われた。小妻は平常冬子を少し恐ろしく、しかし、自分の理想を実現する強者に対するような崇拝を秘めた愛を感じていたのである。
「小妻さん、お早う」こう冬子は改まってお辞儀をした。
「お早う」
 すると冬子の蔭に少し苦労に瘠せているが、鷹揚な品のよい四十あまりの女の人がどう自分の態度をきめて
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