と言った。最後に、自分はどうかして真実に芸ばかりで、芸妓としての生活を送りたいと言った。お光には女が本当に処女であるらしいことははじめから会得されていた。態度に一種の落着きのあるのは女の素質と知恵と教養の影響であって、「男を知った」すれっからしの故でないことも知ることが出来た。兄のために金をこしらえたい、という願い、その願いを身を売るということで充たす、そしてその芸妓稼業を芸ばかりで勤め上げたいという意気組、そこにはある厳粛な精神はあったが、同時に世間を知らない生気さがあった。お光は深い溜息をもらさずにいられなかった。女は次いで、自分の名は冬子であり、明日からこの裏手の廓の春風楼へ出ることを打ち明けた。
「冬子さん」とお光は言わずにいられなかった。「わたしは今、あなたをそういう商売をさせたくなさで胸いっぱいですが、しかしそれはどうにも仕方がありません。あなたの芸一つでやって行こうというお志は本当に好いことだと存じます。どうぞその志を捨てないでやって下さい。たとえ芸一つでやってゆけない破目になろうとも、そのお心さえ堅くもっていらっしゃれば――そりゃぁもう死ぬほど辛いことが多い――辛いことばかりでしょうよ。わたしも丁度あなたのお年の時分から苦労をしつづけで来ておりますが、肝心なことはやはりそうした一念を忘れないということが何よりの頼りになることではありますが――」
 お光は平一郎のこと、自分のこと、どうにか平一郎の成長を祈っていることを話した。そして、冬子に住居も近いことだから親身の叔母とはゆかなくとも、他人でない小母がいると思って訪ねて来てくれ、出来るだけのことはしましょうと言わずにいられなかったのである。二人は寒い下弦の月の暁近く濃霧にうるむ頃まで語り明かし、次の朝、冬子は春風楼へ「芸妓になる可く」行ってしまった。
 その夜から三年の時が過ぎていた。三年の時はあらゆる一切の万象に過ぎていた。平一郎をして中学三年生で恋愛の悩みを知るようにならしめた力は、冬子をして廓でも名妓の一人として立たしめていた。娘の時代に仕込み入れた人間としての教養と、天稟《てんぴん》のしとやかな寂しいうちに包んだ凛然《りんぜん》たる気象は、彼女をただのくだらない肉欲の犠牲者とのみはしておかなかった。芸ばかりで立ってみせる、ひとかどの名妓となってみせる、という意志が彼女を引き緊め、彼女の持つ真価
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