、装飾をしない豊かな束髪や、質素な銘仙の袖のない着物の下に、すでに成熟した一人の「処女」を秘めていたからである。(平一郎はこの頃、朝、学校へゆく路で和歌子に会っても瞳を避けて俯向いて行くのを、自分の成長のためだとは知らないで、時々手紙で責めていた。)そしてこの彼の成長は上級生や同級生には「大河は生意気だ」という反感になり、教師の間では「有望な生徒」という観念が、ようやく敵意のある「しょうのない奴だ」という風になって来た。「有望」という事にある限界線を置いている彼等が、時折その線を突破する平一郎を漸々《だんだん》によく思わなくなったのも無理はない。勝れたる者は苦しめられなくてはならない現世である。勝れた天稟《てんぴん》を守るために富貴によって傅《かしず》かれている者はまだ幸福である。優秀な天稟を「貧乏」のうちに露出して生くる者こそこの世の最も不幸なる者というべきであろう。彼は生まれながらにして刃と戦いを知らねばならない。彼の天稟は自然が「戦え!」との使命である。彼は世と戦うために生まれる。苦しくとも仕方がない。彼は勝たねばならない。彼は生涯の不幸を、最後の短い勝利の凱歌によってのみ償《つぐな》うべき運命を持っている。不幸なる者よ。それが少年の間はまだよい。彼は帝王として、少年の国の支配者であり、それを許し得られよう。しかし、彼に青年期が目覚めかける頃から、彼はようやく彼の性格であり運命である苦痛と戦いを知らなくてはならない。不幸な者よ、平一郎も選ばれたるその一人であったのであった。
 六月の雨のじと/\降るある日、彼は控室の一隅でいつもの様に深井としめやかに語りあっていた。彼があのように各方面に手を伸ばしていながら、さて、語りあう友人は、深井一人より外になかった。話し込んでいると、反対の一隅にわあっ[#「わあっ」に傍点]という笑声が起こった。それは一本の傘の展《ひろ》げたのを車のように廻して皆が哄笑《あざわら》ったのだ。「誰のだ、誰のだ」と言うのもあれば、「春風楼、冬子! わはっはっはっ」と怒鳴る奴もいる。平一郎は群に近寄って見た。それは自分が今朝さして来た傘であった。なるほど傘には「春風楼、冬子」と書かれてあった。哄笑している一群に対して憤怒を感じた。
「何が可笑《おか》しいのだ!」と彼は怒鳴った。一同が粛然と静まった。すると誰かが、「芸者の傘をさしている奴は誰だ!
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