とはお前さん一人の一生の秘密ですのよ」
 次の日天野が出発した。そしてその夜綾子が家出をしてしまった。汽車の中からとして兄と父あてに「天野と夫婦になるために」逃げたと書いてよこした。皆はそう信じてしまった。父も兄も綾子を浮気ものだと怒った。殊に父はいよ/\自分の罪の報いが来たように眉を顰《しか》めた。どうにでも勝手にしろ! と彼は言った。綾子のそうしたことも知らずに大河俊太郎が結婚を申し込んで来たとき、お光は自分でもよろしければどうぞと頼んだのであった。容易に話は纏らなかったが、お光の本気が皆のいろ/\な感情を柔らげるに力があった。お光が大河俊太郎に嫁入ったときの心持はむしろ悲壮であった。

 容太郎はお光が嫁入った翌年死んでしまった。そしてその年の秋にはお里も死んでしまった。北野家には容一郎一人が残されたのであったが、その容一郎も、決して幸福に人間の寿命を生きたわけではなかった。北野家の滅亡すべき時が来ていたのであった。しかし滅亡したとて惜しむわけはないのだ。とお光は後に思った。もと/\何一つないのがあたりまえの北野家であった。大きな邸宅や財宝のあるのが間違いであった。しかもその滅亡が北野家の総領である容一郎自身の死と意思によって実行されたことは、むしろ北野家のために祝福すべきであるのかも知れない。お光が大河に嫁して三年目の春五月、胃癌で患っていた容一郎は土蔵の(この土蔵は容太郎とお信の恋の廃墟であった)二階で縊死したのだ。しかも、遺書には全財産を大川村全体にお返しすると書いてあった。
 全財産を大川村へ返却する! ああ自分の弱いことに悩みつづけていた容一郎の最後の人生への贈物はこの一事であった。人々は狂気したのではないかと言ったが、狂気の証跡はどこにもなかった。北野家は滅びてしまった。しかし容一郎の精神は永遠に生きるであろう。俊太郎はお光に「偉い、偉い! とう/\実行した! お前の兄貴は偉い!」と言ったが、その俊太郎の知己の言であることも、俊太郎の死後、年とってからようやく分ったことであった。
 北野家が亡びた翌年、お光は平一郎を生んだのであった。そうして平一郎が三つの春、俊太郎は死んだのであった。俊太郎の死後、お光は平一郎一人のために彼女の後半生を捨てて、生活して来たのであった。ああ、その間の長い苦労よ。
 このお光の生涯の一大転機はあの天野が綾子を「奪った」
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