彼はまた何かささやいた。
「ね、酔っていて何を知るもんかね。ね、要するに何んだ。一人一人が今日己と一緒にここで遊んだということを憶えてしまえばいいんだ。ね、御褒美はまた、ゆっくり山中の温泉へでも連れてってやるから、な」
 そして彼は階段を上がって行った。二階では彼を迎える一同の、酒に酔いしれた、群集心理に濁っただみ声と拍手が起こった。お幸は暫く一人首をかしげて茶の間に坐っていた。川村が頼みいった事柄がどういうことであるかを彼女は洞察していた。それは彼女の社会では珍しいことではない。つまりは一種の「去勢政策」なのである。しかし彼女はさらに十八人の多人数の人間に一時にある種の満足を与えねばならないことを考えたとき、当惑せずにはいられなかった。大抵多くて四、五人の人が寄ることはさほどに珍しいことでないが、二十人近い人数はちょっと工合が悪かった。芸妓の数が足りなかった。十時から十二時までの廓の最高潮のこの時刻に何処の家でも芸妓があいてるわけがなかった。殊に今のようなある行為を必要とする場合では難しかった。彼女は、時子、茂子、菊龍、富江、小妻、と指を折って数えてみた。五人しかいなかった。自分自身を交えても六人にしかならなかった。彼女は立って電話室にはいって心あたりの家へ電話をかけた。何処にも人が空いていなかった。といってむやみに二流三流の家へ交渉することは家の沽券《こけん》がゆるさなかった。どうにかして、娼妓を三人見出すことが出来た。彼女はすぐに来るように急きたてた。これで九人、どうにか切りぬけられるだろうと彼女は考えた。彼女は茶の間へ来て、自分はどうあっても川村一人に任せなくてはなるまいが、あと八人で十七人の男をどうにかしなくてはならないのだが、二人ずつとしても誰か一人は三人の男を相手にしなくてはならない。三人の男を一夜に相手にすることは公娼にとってはさほど珍しいことでもあるまいが、短時間のうちに、一どきに三人の男を相手にすることの経験は少なくともお幸自身にもない。彼女はどう振り当てたものか分らなかった。そこへ女将が一杯のまされたらしく顔を赤くして下りて来た。
「お幸ちゃん、お前さん上がらないのかえ」
「女将さん、それどころじゃないのですよ」
「何んだえ」
「あの人達はね、みんな川村さんの課の役人なんですって、そしてその中には川村さんに反対する人もいるのですって、ね、それ
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