生命にいきかえったような思いである。おとよさんやおはまや、晴ればれと元気のよい、毛の先ほども憎気のない人たちと打ち興じて今日も稲刈りかということが、何となしうれしく楽しくなってきた。
 太陽はまだ地平線にあらわれないが、隣村のだれかれ馬をひいてくるものもある。荷車をひいてくるものもある。天秤《てんびん》の先へ風呂敷《ふろしき》ようのものをくくしつけ肩へ掛けてくるもの、軽身に懐手《ふところで》してくるもの、声高《こわだか》に元気な話をして通るもの、いずれも大回転の波動かと思われ、いよいよ自分の胸の中にも何かがわきかえる思いがするのである。
 省作は足腰の疲れも、すっかり忘れてしまい、活気を全身にたたえて、皆の働いてる表へ出て来た。

     二

「省作お前は鎌《かま》をとぐんだ。朝前《あさめえ》のうちに四|挺《ちょう》だけといでしまっておかねじゃなんねい。さっきあんなに呼ばったに、どこにいたんだい。なんだ腹の工合がわるい、……みっちりして仕事に掛かれば、大抵のことはなおってしまう。この忙しいところで朝っぱらからぶらぶらしていてどうなるか」
「省作の便所は時によると長くて困るよ。仕事の
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