るとお祖母《ばあ》さんは風気《かぜけ》だとかで寝てしもた。背戸山の竹に雨の音がする。しずくの音がしとしとと聞こえる。その竹山ごしに隣のお袋の声だ。
「となりの旦那あ、湯があきましたよ」
「はあえ――」
おはまが竈屋《かまや》から答える。兄夫婦は湯に呼ばれていった。省作は小座敷へはいって今日の新聞を見る。小説と雑報とはどうかこうか読めた。それから源氏物語を読んだが読めればこそ、一行も意義を解しては読めない。省作は本を持ったまま仰向きにふんぞり返って天井板を見る。天井板は見えなくておとよさんが見える。
今夜は湯に行かない方がええかしら。そうだゆくまい。行かないとしよう。なに行ったってえいさ。いやいや行かない
方がえい。ゆくまいというは道徳心の省作で、行きたい行きたいとするのは性欲の省作とでもいおうか。一方は行かない方がえいとはいうけれど、一方では行きたい行きたいの念がむらむらと抑え切れない。
もしおとよさんが、こっそり湯端《ゆぶち》へきて何とか言ったらどうしよう。こう思うと気味が悪くて恐ろしくて、腹がわくわくする。省作はまた耳がほかほかしてきた。行かない方がえいなア。あアゆくまいゆ
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