も思い切ってはしない。省作はもとから話下手《はなしべた》ときてるから、半日並んで仕事をしていてもろくに口もきかないという調子で、今日の稲刈りはたいへんにぎやかであろうと思った反対にすこぶる振るわないのだ。しかし表面にぎやかではないが、おとよさんとおはまの心では、時間の過ぐるも覚えないくらいにぎやかな思いでいるのである。
 省作はもちろんおとよさんが自分を思ってるとはまだ気がつかないが、少しそういう所に経験のある目から見れば、平生あまり人に臆せぬおとよさんがとかく省作に近寄りたがるふうがありながら、心を抑えて話もせぬ様子ぶりに目を留めないわけにゆかない。何か心に思ってる事がなくて、そんなによそよそしくせんでもよい人に、つとめてよそよそしくするのはおかしいにきまっている。稲を刈って助《す》けるのは、心あっての事ともそうでないとも見られるが、そのそぶりはなんでもないもののする事とは見られない。
 午後もやや同じような調子で過ぎた。兄夫婦は稲の出来ばえにほくほくして、若い手合いのいさくさなどに目は及ばない。暮れがたになってはさしもに大きな一まちの田も、きれいに刈り上げられて、稲は畔《くろ》の限
前へ 次へ
全50ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング