昨日の稲刈りなどは随分みじめなものであった。だれにもかなわない。十四のおはまにも危うく負けるところであった。実は負けたのだ。
「省さん、刈りくらだよ」
というような掛け声で十四のおはまに揉《も》み立てられた。
「くそ……手前なんかに負けるものか」
省作も一生懸命になって昼間はどうにか人並みに刈ったけれど、午後も二時三時ごろになってはどうにも手がきかない。おはまはにこにこしながら、省作の手もとを見やって、
「省さんはわたしに負けたらわたしに何をくれます……」
「おまえにおれが負けたら、お前のすきなもの何でもやる」
「きっとですよ」
「大丈夫だよ、負ける気づかいがないから」
こんな調子に、戯言《じょうだん》やら本気やらで省作はへとへとになってしまった。おはまがよそ見をしてる間に、おとよさんが手早く省作のスガイ藁《わら》を三十本だけ自分のへ入れて助《たす》けてくれたので、ようやく表面おはまに負けずに済んだけれど、そういうわけだから実はおはまに三十本だけ負けたのだ。
省作はここにまごまごしていると、すぐ呼びたてられるから、今しばらく家のものの視線を避けようとしていると、おはまが水くみにきた。
「省さん、今日はきっと負かしてやります」
「ばかいえ、手前なんかに片手だって負けっこなしだ」
「そっだらかけっこにせよう」
「うん、やろ」
おはまはハハハッと笑って水をくむ。
「はま……だれかおれを呼んだら、便所にいるってそういえよ」
「いや裏の畑に立ってるってそういってやらア」
「このあまめ」
省作は例の手段で便所策を弄《ろう》し、背戸《せど》の桑畑へ出てしばらく召集を避けてる。はたして兄がしきりと呼んだけれど、はま公がうまくやってくれたからなお二十分間ほど骨を休めることができた。
朝露しとしとと滴《こぼ》るる桑畑の茂り、次ぎな菜畑、大根畑、新たに青み加わるさやさやしさ、一列に黄ばんだ稲の広やかな田畝《たんぼ》や、少し色づいた遠山の秋の色、麓《ふもと》の村里には朝煙薄青く、遠くまでたなびき渡して、空は瑠璃色《るりいろ》深く澄みつつ、すべてのものが皆いきいきとして、各《おのおの》その本能を発揮しながら、またよく自然の統一に参合している。省作はわれ自らもまた自然中の一物《いちぶつ》に加わり、その大いなる力に同化せられ、その力の一端がわが肉体にもわが精神にも通いきて、新たなる
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