日暮れなどもそうっと無花果《いちじく》を袂《たもと》へ入れてくれた。そうそうこの前の稲刈りの時にもおれが鎌で手を切ったら、おとよさんは自分のかぶっていた手ぬぐいを惜しげもなく裂いて結わいてくれた。どうも思ってるのかもしれない。
 考え出すと果てがない。省作は胸がおどって少し逆上《のぼ》せた。人に怪しまれやしまいかと思うと落ち着いていられなくなった。省作は出たくもない便所へゆく。便所へいってもやはり考えられる。
 それではおとよさんは、どうもおれを思ってるのかもしれない。そうするとおとよさんはよくない女だ。夫のある身分で不埒な女だ。不埒だなア。省作はたしかに一方にはそう思うけれど、それはどうしても義理一通りの考えで、腹の隅の方で小さな弱々しい声で鳴る声だ。恐ろしいような気味の悪いような心持ちが、よぼよぼした見すぼらしいさまで、おとよ不埒をやせ我慢に偽善的にいうのだ。省作はいくら目をつぶっても、眉の濃い髪の黒いつやつやしたおとよの顔がありありと見える。何もかも行きとどいた女と兄もほめた若い女の手本。いくら憎く思って見てもいわゆる糠《ぬか》に釘《くぎ》で何らの手ごたえもない。あらゆる偽善の虚栄心をくつがえして、心の底からおとよさんうれしの思いがむくむく頭を上げる。どう腹の中でこねかえしても、つまりおとよさんは憎くない。いよいよおとよさんがおれを思ってるに違いなけりゃ、どうせばよいか。まさかぬしある女を……おとよさんもどういう了簡《りょうけん》かしら。いやだいやだ、おとよさんがいくらえい女でも、ぬしある女、人の妻、いやだいやだ。省作はようやくのこと、いやだいやだと口の底で言いつつ便所を出たけれど、もしも省作がおとよさんにあって、おとよさんのあの力ある面《かお》つきで何とか言い出されたら、省作がいま口の底でいう、いやだいやだなんぞは、手のひらの塵を吹くより軽く飛んでしまいそうだ。省作は知らず知らずため息が出る。
 省作が自分の座へ帰ってくると、おはまはじいっと省作の顔を見て何か言いたそうにする。省作はあわてて、
「はま公、芋の残りはないか。芋がたべたい」
「ありますよ」
「それじゃとってくろ」
 それから省作はろくろく繩もなわず、芋を食ったり猫《ねこ》をおい回したり、用もないに家のまわりを回って見たりして、わずかに心のもしゃくしゃを紛らかした。

     四

 夕飯が終え
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