で、姉もおとよさんといっしょに降りてくる。おおぜい輪を作って芋をたべる。少しく立ちまさった女というものは、不思議な光を持ってるものか、おとよさんがちょっとここへくればそのちょっとの間おとよさんがこの場の中心になる。知らず知らずだれの目もおとよさんにあつまる。
顎《あご》のあたりゆたかに艶《つや》よきおとよさんの顔は、どことなく重みがあった。随分おしゃべりな政さんなぞも、陰でこそかれこれ茶かしたようなことを言っても、面と向かってはすっかりてれてしまって戯言一つ言えない。おはまは先におとよさんが省作に気があるというのを聞いて、自分がおとよさんと一層近しくなったような心持ちで、おとよさんの膝にすり寄っておとよさんの顔を見上げている。省作はわざと輪からはずれて立って芋をたべてる。政さんはしきりにおとよさんの方をぬすみ見て、おとよさんが省作に対する動作に何物かを発見せんとつとめているけれど、政さんなんかに気取られるようなそんな浅々しいおとよさんではない。おとよさんは省作へはちらと目をくばる様子もない。やがておとよさんは、今夜は早く風呂ができるから入りに来てくれるようにと、お祖母さんはじめみんなへ言うて帰った。
昼過ぎても雨はやまない。満蔵は六斗の米を搗き上げてしまって遊びに出た。あとは昼前の通りへ清さんも藁を持ってやってきた。清さんがきて見れば、もうおとよさんのうわさもできない。おはまを相手に政さんがらちもなき事をしゃべってにぎやかしてる。省作は考えまいとしても、どうしても考えられてならない。考えてると人にそう思われてはいよいよ困るから、ことさらにらちもない話に口を出して、腹は沈んで口では浮いてるように振る舞ってるけれど、そういうことは省作の柄でないから、はたで見てるとよほどおかしい。
おとよさんがおれを思ってる、本当かしら、夫のあるおとよさんが、そんなことはありゃしまい。おとよさんは何もかもきちんとした人だ。おいらなどよりもよほど大人だもの。おれを思ってるなんてうそだ。うそだ、うそに違いない。第一本当であったらおとよさんは見掛けによらず不埒《ふらち》な女郎《めろ》だ。いやそんなことがあるもんか。うそだ。うそだうそだと心で言うほど、思いあたる事が出てくる。おとよさんがおれに親切なは今度の稲刈りの時ばかりでない。成東《なるとう》の祭りの時にも考えればおかしかった。この間の
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