花役者だ。何事にも穏やかな省作も、こう並んで刈り始めて見ると負けるは残念な気になって、一生懸命に顔を火のようにして刈っている。満蔵はもうひとりで唄を歌ってる。おとよさんは百姓の仕事は何でも上手で強い。にこにこしながら手も汚さず汗も出さず、綽々《しゃくしゃく》として刈ってるが、四|把《わ》と五把との割合をもってより多く刈る。省作は歯ぎしりをかんで競うて見ても、おとよさんにかけてはほとんど子供だ。おとよさんは微笑で意を通じ、省作のスガイを十本二十本ずつ刈りすけてやる。おはまはなんといっても十四の小娘だ。おとよさんのそのしぐさに少しも気がつかない。満蔵はひとりでうたい飽きて、
「おはまさアうたえよ。おとよさアなで今日はうたわねいか」
だれもうたわない。サッサッと鎌の切れる音ばかり耳に立ってあまり話するものもない。清さんはお袋と小声でぺちゃくちゃ話している。満蔵はあくびをしながら、
「みんな色気があるからだめだ。省作さんがいれば、おとよさんもはま公も唄もうたわねいだもの」
満蔵は臆面もなくそんなことを言って濁《だみ》笑いをやってる。実際満蔵の言うとおりで、おとよさんは省作のいるとこでは、話も思い切ってはしない。省作はもとから話下手《はなしべた》ときてるから、半日並んで仕事をしていてもろくに口もきかないという調子で、今日の稲刈りはたいへんにぎやかであろうと思った反対にすこぶる振るわないのだ。しかし表面にぎやかではないが、おとよさんとおはまの心では、時間の過ぐるも覚えないくらいにぎやかな思いでいるのである。
省作はもちろんおとよさんが自分を思ってるとはまだ気がつかないが、少しそういう所に経験のある目から見れば、平生あまり人に臆せぬおとよさんがとかく省作に近寄りたがるふうがありながら、心を抑えて話もせぬ様子ぶりに目を留めないわけにゆかない。何か心に思ってる事がなくて、そんなによそよそしくせんでもよい人に、つとめてよそよそしくするのはおかしいにきまっている。稲を刈って助《す》けるのは、心あっての事ともそうでないとも見られるが、そのそぶりはなんでもないもののする事とは見られない。
午後もやや同じような調子で過ぎた。兄夫婦は稲の出来ばえにほくほくして、若い手合いのいさくさなどに目は及ばない。暮れがたになってはさしもに大きな一まちの田も、きれいに刈り上げられて、稲は畔《くろ》の限
前へ
次へ
全25ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング