しょうなと、聞きたくてならないのを遂に聞かずに居った予は、一人考えに耽《ふけ》って愈《いよいよ》其物足らぬ思いに堪えない。
新潟を出る時、僅かな事で二時間汽車の乗後れをしてから、柏崎へ降りても只淋しい思いにのみ襲われ、そうして此家に著いてからも、一として心の満足を得たことはない。其多くの不満足の中に、最も大なる不満足は、此家にお繁さんの声を聞かなかった事である。あアそうだ外の事は一切不満足でも、只同情ある殊に予を解してくれたお繁さんに逢えたら、こんな気苦しい厭な思いに悶々《もんもん》しやしないに極《きま》ってる。いやたとえ一晩でも宿《と》めて貰って、腹の中とは云え悪くいうは気が咎《とが》める、もうつまらん事は考えぬ事と戸を締めた。
洋燈を片寄せようとして、不図《ふと》床を見ると紙本半切《しほんはんせつ》の水墨山水、高久靄※[#「※」は「涯−さんずい」、第3水準1−14−82、82−15]《たかくあいがい》で無論真筆紛れない。夜目ながら墨色深潤大いに気に入った。此気分のよいところで早速枕に就くこととする。
強いて頭を空虚に、眼を閉じてもなかなか眠れない、地に響くような波の音が、物を
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