考えまいとするだけ猶《なお》強く聞える。音から聯想《れんそう》して白い波、蒼《あお》い波を思い浮べると、もう番神堂が目に浮んでくる。去年は今少し後であった。秋の初め、そうだ八月の下旬、浜菊の咲いてる時であった。
 お繁さんは東京の某女学校を卒業して、帰った間もなくで、東京なつかしの燃えてる時であったから、自然東京の客たる予に親しみ易い。一日岡村とお繁さんと予と三人番神堂に遊んだ。お繁さんは十人並以上の美人ではないけれど、顔も姿もきりりとした関東式の女で、心意気も顔、姿の通りに快濶な爽かな人であった。こう考えてくるとお繁さんの活々《いきいき》とした風采《ふうさい》が明かに眼に浮ぶ。
 土地の名物|白絣《しろがすり》の上布に、お母さんのお古だという藍鼠《あいねずみ》の緞子《どんす》の帯は大へん似合っていた。西日をよけた番神堂の裏に丁度腰掛茶屋に外の人も居ず、三人は緩《ゆっく》り腰を掛けて海を眺めた。風が変ってか海が晴れてくる。佐渡が島が鮮かに見えてきた。佐渡が見えると海全面の景色が皆活きてくる。白帆が三つ東に向って行く。動かない漁舟《いさりぶね》、漕《こ》ぐ手も見ゆる帰り舟、それらが皆活気
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