おつちやんにおんも、おつちやんがえい、お兒ちやんのかんこ、お兒ちやんのかんこがえいと聲がするかと思ふほどに耳にある彼兒の詞を、口に云ひさへすれば直ぐ涙は流れる。何遍も何遍もそれを繰返しては涙を絞つた。
夜が明けさうと氣づいて、驚いて又枕邊に還つた。妻もうと/\してるやうであつた。外の七八人一人も起きてるものは無かつた。只燈明の火と、線香の煙とが、深い眠の中の動きであつた。自分は此靜けさに少し氣持がよかつた。自分の好きな事をするに氣兼が入らなくなつたやうに思はれたらしい。それで別にどういふ事をすると云ふ考があるのでもなかつた。
夜が明けたら此兒はどうなるかと、恐る/\考へた。それと等しく自分の心持もどうなるかと考へられる。そしてさういふことを考へるのを、非常に氣味わるく恐ろしく感じた。自分は思はず口の内で念佛を始めた、さうして數十遍唱へた。併しいくら念佛を唱へても、今の自分の心の痛みが少しも輕くなると思へなかつた。只自分は非常に疲れを覺えた。氣の張りが全く衰へて、どうなつても仕方がないと云ふ樣な心持になつて終つた。
[#下げて、地より1字あきで]明治42年9月『ホトヽギス』
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