水も無いのである。手に足に氣くばりが無くなつて、考は先から先へ進む。
超世的詩人を以て深く自ら任じ、常に萬葉集を講じて、日本民族の思想感情に於ける、正しき傳統を解得し繼承し、依て以て現時の文明に聊か貢献する處あらんと期する身が、此醜態は情ない。假令人に見らるゝの憂がないにせよ、餘儀なき事の勢に迫つたにせよ、餘りに蠻性の露出である。こんな事が奮鬪であるならば、奮鬪の價は卑いと云はねばならぬ。併し心を卑くするのと、體を卑くするのと、いづれが卑いかと云はば、心を卑くするの最も卑むべきは云ふまでも無いことである。さう思ふて見れば我が今夜の醜態は、只體を卑くしたのみで、心を卑くしたとは云へないのであらうか。併し、
心を卑くしないにせよ、體を卑くした其事の恥づベきは少しも減ずる譯ではないのだ。
先着の伴牛は頻りに友を呼んで鳴いて居る。我が引いてゐる牛もそれに應じて一聲高く鳴いた。自分は夢から覺めた心地になつて、覺えず手に持つた鼻綱を引詰めた。
四
水は一日に一寸か二寸しか減じない。五六日經つても七寸とは減じて居ない。水に漬つた一切の物未だに手の著け樣がない。其後も幾度か雨が
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