てくれないかも知れない、と自分もしんから嘆息したのであつた。
 當時は只一場の痴話として夢の如き記憶に殘つたのであるけれど、二十年後の今日それを極めて眞面目に思ひ出したのは如何なる譯か。
 考へて見ると果して其夜の如き感情を繰返した事は無かつた。年一年と苦勞が多く、子供は續々と出來てくる。年中齷齪として歳月の廻るに支配されて居る外に何等の能事も無い。次々と來る小災害のふせぎ、人を弔ひ己を悲む消極的營みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。さうして遂に今度の大水害にかうして苦鬪して居る。
 二人が相擁して死を語つた以後二十年、實に何の意義も無いではないか。苦しむのが人生であるとは、どんな哲學宗教にも云ふては無からう。然かも實際の人生は苦んでるのが常であるとは如何なる譯か。
 五十に近い身で、少年少女一夕の痴談を眞面目に回顧して居る今の境遇で、是をどう考へたらば、茲に幸福の光を發見することが出來るであらうか。此の自分の境遇には何所にも幸福の光が無いとすれば、一少女の痴談は大哲學であると云はねばならぬ。人間は苦むだけ苦まねば死ぬ事も出來ないのかと思ふのは考へて見るのも厭だ。
 手傳《てつだい》の人々がいつのまにか來て下に働いて居つた。屋根裏から顏を出して先生と呼ぶのは、水害以來毎日手傳に來てくれる友人であつた。
[#下げて、地より1字あきで]明治43年11月『ホトヽギス』
[#下げて、地より1字あきで]署名   左千夫



底本:「左千夫全集 第三巻」岩波書店
   1977(昭和52)年2月10日発行
初出:「ホトヽギス」発行所名
   1910(明治43)年11月1日発行、第十四巻第二号
※底本に見る「塲」と「場」の混用は、ママとしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:米田進
校正:松永正敏
ファイル作成:
2002年4月1日公開
2003年5月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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