る。水の家にも一日に數回見廻ることもある。夜は疲勞して坐に堪へなくなる。朝起きては、身の内の各部に疼痛倦怠を覺え、其の業に堪へ難き思ひがするものゝ、常よりも快美に進む食事を取りつゝ一度鞋を蹈みしめて起つならば、自分の四肢は凜として振動するのである。
肉體に勇氣が滿ちてくれば、前途を考へる悲觀の感念も何時しか屏息して、愉快に奮鬪が出來るのは妙である。八人の兒女があるといふ痛切な感念が、常に肉體を奮興せしめ、其苦痛を忘れしめるのか。
或は鎌倉武士以來の關東武士の蠻性が、今猶自分の骨髓に遺傳して然るものか。
破壞後の生活は、總ての事が混亂して居る。思慮も考察も混亂して居る。精神の一張一緩も固より混亂を免れない。
自分は一日大道を濶歩しつゝ、突然として思ひ浮んだ。自分の反抗的奮鬪の精力が、これだけ強堅であるならば、一切迷ふことはいらない。三人の若い者を一人減じ自分が二人だけの勞働をすれば、何の苦勞も心配もいらぬ事だ。今まで文藝などに遊んで居つた身で、これが果して出來るかと自問した。自分の心は無造作に出來ると明答した。文藝を三四年間放擲して終ふのは、聊かの狐疑も要せぬ。
肉體を安んじて精神を困めるのがよいか、肉體を困めて精神を安ずるのがよいか。かう考へて來て自分は愉快で溜らなくなつた。我知らず問題は解決したと獨語した。
五
水が減ずるに從つて、跡の始末もついて行く。運び殘した財物も少くないから、夜を守る考も起つた。物置の天井に一坪に足らぬ場所を發見して茲に蒲團を展べ、自分はそこに横たはつて見た。これならば夜を茲に寢られぬ事もないと思つたが、茲へ眠つて終へば少しも夜の守りにはならないと氣づいたから、夜は泊らぬことにしたけれど、水中の働きに疲れた體を横たへて休息するには都合がよかつた。
人は境遇に支配されるものであると云ふことだが、自分は僅に一身を入るゝに足る狹い所へ横臥して、不圖夢の樣な事を考へた。
其昔相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるを覺えて殆ど眠られなかつた時、彼は嘆じて云ふ。かういふ風に互に心持よく圓滿に樂しいといふ事は、今後今一度と云つても出來ないかも知れない、いつそ二人が今夜眠つたまゝ死んで終つたら、是に上越す幸福はないであらう。
眞にそれに相違ない。此のまゝ苦もなく死ぬことが出來れば滿足であるけれど、神樣が我々にさう云ふ幸福を許し
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