又晝を降通すべき氣勢である。
 さんざん耳から脅された人は、夜が明けてからは更に目からも脅さる。庭一面に漲り込んだ水上に水煙を立てゝ、雨は篠を突いてるのである。庭の飛石は一箇も見えてるのが無いくらゐの水だ。いま五六寸で床に達する高さである。
 もう疊を上げた方がよいでせう、と妻や大きい子供等は騷ぐ。牛舍へも水が入りましたと若衆も訴へて來た。
 最も臆病に、最も内心に恐れて居つた自分も、側から騷がれると、妙に反撥心が起る。殊更に落ちついてる風をして、何程増して來た處で溜り水だから高が知れてる。そんなにあわてゝ騷ぐに及ばないと一喝した。さうして其一喝した自分の聲にさへ、實際は恐怖心が搖《ゆら》いだのであつた。雨は益※[#二の字点、面区点番号1−2−22、204−12]降る。一時間に四分五分《しぶごぶ》位づゝ水は高まつて來る。
 強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が靜かになればと思ふ心から、雨聲の高低に注意を拂ふことを、秒時もゆるがせにしては居ない。
 不安――恐怖――其の堪へ難い懊惱の苦みを、此の際幾分か紛らかさうには、體躯を運動する外はない。自分は横川天神川の増水如何を見て來ようと我知らず身を起した。出掛けしなに妻や子供達にも、いざと云ふ時の準備を命じた。それも準備の必要を考へたよりは、彼等に手仕事を授けて、徒らに懊惱することを輕めようと思つた方が多かつた。
 干潮の刻限である爲か、河の水は未だ意外に低かつた。水口からは水が隨分盛に落ちて居る。茲で雨さへ歇むなら、心配は無いがなアと、思はず嘆息せざるを得なかつた。
 水の溜つてる面積は五六|町内《ちやうない》に跨つてる程廣いのに、排水の落口といふのは僅に三ヶ所、それが又、皆落口が小さくて、溝は七まがり八まがりと迂曲して居る。水の落ちるのは、干潮の間僅かの時間であるから、雨の強い時には、降つた水の半分も落ちきらぬ内に、上げ汐の刻限になつて終ふ。上げ潮で河水が多少水口から突上《つきあげ》る處へ更に雨が強ければ、立ちしか間に此一區劃内に湛へて終ふ。自分は水の心配をする度に、此處の工事をやつた人の、馬鹿々々しきまで實務に不忠實な事を呆れるのである。
 大洪水は別として、排水の裝置が實際に適して居るならば、一日や二日の雨の爲に、此|町中《まちなか》ヘ水を湛ふる樣な事は無いのである。人事僅に至らぬ處あるが爲に、幾百千の人が、
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