受ける時でも、これだけの苦痛はなかろうと思われる。おとよは胸で呼吸《いき》をしている。
「おとよ……お前の胸はお千代から聞いて、すっかり解《わか》った。親の許さぬ男と固い約束のあることも判《わか》った。お前の料簡《りょうけん》は充分に判ったけれど、よく聞けおとよ……ここにこうして並んでる二人《ふたり》は、お前を産んでお前を今日まで育てた親だぞ。お前の料簡にすると両親は子を育ててもその子の夫定《つまさだ》めには口出しができないと言うことになるが、そんな事は西洋にも天竺《てんじく》にもあんめい。そりゃ親だもの、かわい子《ご》の望みとあればできることなら望みを遂げさしてやりたい。こうしてお前を泣かせるのも決して親自身のためでなくみんなお前の行く末思うての事だ。えいか、親の考えだから必ずえいとは限らんが、親は年をとっていろいろ経験がある、お前は賢くても若い。それでわが子の思うようにばかりさせないのは、これも親として一つの義務だ。省作だって悪い男ではあんめい、悪い男ではあんめいけど、向うも出る人おまえも出る人、事が始めから無理だ。許すに許されない二人のないしょ事だ。いわば親の許さぬ淫奔《いたずら》というものでないか、えいか」
おとよはこの時はらはらと涙を膝《ひざ》の上に落とした。涙の顔を拭《ぬぐ》おうともせず、唇《くちびる》を固く結んで頭を下げている。母もかわいそうになって眼《め》は潤《うる》んでいる。
「省作の家《いえ》にしろ家《うち》にしろ、深田への手前秋葉への手前、お前たちの淫奔《いたずら》を許しては第一家の面目《めんぼく》が立たない。今度の斎藤に対しても実に面目もない事でないか。お前たち二人は好いた同士でそれでえいにしても、親兄弟の迷惑をどうする気か、おとよ、お前は二人さえよければ親兄弟などはどうでもえいと思うのか。できた事は仕方ないとしても、どうしてそれが改めてくれられない。省作への義理があろうけれど、それは人をもって話のしようはいくらもある。これまでは親兄弟に対してよく筋道の立ってたお前、このくらいの道理の聞き判《わか》らないお前ではなかったに、どうもおれには不思議でなんねい。おれはよんべちっとも寝なかった」
こう言って父も思い迫ったごとく眼に涙を浮かべた。母はとうから涙を拭《ぬぐ》うている。おとよはもとより苦痛に身をささえかねている。
「それもこれもお前が心一つを取り直しさえすれば、おまえの運はもちろん、家の面目も潰《つぶ》さずに済むというものだ。省作とてお前がなければまたえい所へも養子に行けよう。万方《ばんぼう》都合よくなるではないか。ここをな、おとよとくと聞き別けてくれ、理の解《わか》らぬお前でないのだから」
父のことばがやさしくなって、おとよのつらさはいよいよせまる。おとよも言いたいことが胸先につかえている。自分と省作との関係を一口に淫奔《いたずら》といわれるは実に口惜《くや》しい。さりとて両親の前に恋を語るような蓮葉《はすっぱ》はおとよには死ぬともできない。
「おとッつさんのおっしゃるのは一々ごもっともで、重々わたしが悪うございますが、おとッつさんどうぞお情けに親不孝な子を一人《ひとり》捨ててください」
おとよはもう意地も我慢《がまん》も尽きてしまい、声を立てて泣き倒れた。気の弱い母は、
「そんならお前のすきにするがえいや」
「ウム立派に剛情を張りとおせ。そりゃつらいところもあろう、けれども両親が理を分けての親切、少しは考えようもありそうなもんだ、理も非もなくどこまでも、我儘《わがまま》をとおそうという料簡《りょうけん》か、よしそんなら親の方にもまた料簡がある」
こういい放って父は足音荒く起《た》って出てしまう。無論縁談は止めになった。
省作というものがなくて、おとよがただ斎藤の縁談を避けたのみならば、片意地な父もそうまで片意地を言うまいが、人の目から見れば、どうしてもおとよが、好きな我儘をとおした事になるから、後の治まりがむずかしい。父はその後も幾度か義理づめ理屈づめでおとよを泣かせる。殺してしまうと騒いだのも一度や二度でなかった。たださえ剛情に片意地な人であるに、この事ばかりは自分の言う所が理義明白いささかも無理がないと思うのに、これが少しも通らぬのだから、一筋に無念でならぬのだ。これほど明白に判《わか》り切った事をおとよが勝手《かって》我儘《わがまま》な私心《わたくしごころ》一つで飽くまでも親の意に逆らうと思いつめてるからどうしても勘弁ができない。ただ何といってもわが子であるから仕方がなく結末がつかないばかりである。
おとよは心はどこまでも強固であれど、父に対する態度はまたどこまでも柔和《にゅうわ》だ。ただ、
「わたしが悪いのですからどうぞ見捨てて……」
とばかり言ってる。悪いと知ったら、なぜ親のことばを用いぬといえば泣き伏してしまう。
「斎藤の縁談を断わったのはお前の意《こころ》を通したのだから、今度は相当の縁があったら父の意に従えと言うのだ」
それをおとよはどうしても、ようございますといわないから、父の言《い》い状《じょう》が少しも立たない。それが無念で堪《たま》らぬのだ。片意地ではない、家のためだとはいうけれど、疳《かん》がつのってきては何もかもない、我意を通したい一路に落ちてしまう。怒《おこ》って呆《あき》れて諦《あきら》めてしまえばよいが、片意地な人はいくら怒っても諦めて初志を捨てない。元来父はおとよを愛していたのだから、今でもおとよをかわいそうと思わないことはないけれど、ちょっと片意地に陥るとわが子も何もなくなる、それで通常は決して無情酷薄な父ではないのである。
おとよはだれの目にも判るほどやつれて、この幾日というもの、晴れ晴れした声も花やかな笑いもほとんどおとよに見られなくなった。兄夫婦も母も見ていられなくなった。兄は大抵の事は気にせぬ男だけれどそれでもある時、
「おとッつさんのように、そう執念深くおとよを憎むのは一体|解《わか》らない。死んでもえいと思うくらいなら、おとよの料簡《りょうけん》に任してもえいでしょう」
こういうと父は、
「うむ、そんな事いってさんざん淫奔《いたずら》をさせろ」
すぐそういうのだからどうしようもない。ことにお千代は極端に同情し母にも口説《くど》き自分の夫にも口説きしてひそかに慰藉《いしゃ》の法を講じた。自ら進んで省作との間に文通も取り次ぎ、時には二人を逢《あ》わせる工夫もしてやった。
おとよはどんな悲しい事があっても、つらい事があっても、省作の便《たよ》りを見、まれにも省作に逢うこともあれば、悲しいもつらいも、心の底から消え去るのだから、よそ目に見るほど泣いてばかりはいない。例の仕事|上手《じょうず》で何をしても人の二人前働いている。
父は依然として朝飯夕飯のたびに、あんなやつを家へ置いては、世間へ外聞が悪い、早くどこかへ奉公にでもやってしまえという。母は気の弱い人だから、心におとよをかわいそうと思いながら、夫のいうことばに表立って逆らうことはできない。
「おとよを奉公にやれといったって、おとよの替わりなら並みの女二人頼まねじゃ間に合わない」
いさくさなしの兄はただそういったなり、そりゃいけないとも、そうしようともいわない。飯が済めばさっさと田圃《たんぼ》へ出てしまう。
九
世は青葉になった。豌豆《えんどう》も蚕豆《そらまめ》も元なりは莢《さや》がふとりつつ花が高くなった。麦畑はようやく黄ばみかけてきた。鰌《どじょう》とりのかんてらが、裏の田圃に毎夜八つ九つ出歩くこの頃、蚕は二眠が起きる、農事は日を追うて忙しくなる。
お千代が心ある計らいによって、おとよは一日つぶさに省作に逢《お》うて、将来の方向につき相談を遂《と》ぐる事になった。それはもちろんお千代の夫も承知の上の事である。
爾来《じらい》ことにおとよに同情を寄せたお千代は、実は相談などいうことは第二で、あまり農事の忙しくならないうちに、玉の緒かけての恋中《こいなか》に、長閑《のどか》な一夜の睦言《むつごと》を遂げさせたい親切にほかならぬ。
お千代が一緒というので無造作に両親の許しが出る。
かねて信心《しんじん》する養安寺村の蛇王権現《だおうごんげん》にお詣《まい》りをして、帰りに北の幸谷《こうや》なるお千代の里へ廻《まわ》り、晩《おそ》くなれば里に一宿《いっしゅく》してくるというに、お千代の計らいがあるのである。
その日は朝も早めに起き、二人して朝の事一通りを片づけ、互いに髪を結い合う。おとよといっしょというのでお千代も娘作りになる。同じ銀杏返《いちょうがえ》し同じ袷《あわせ》小袖《こそで》に帯もやや似寄った友禅|縮緬《ちりめん》、黒の絹張りの傘《かさ》もそろいの色であった。緋《ひ》の蹴出《けだ》しに裾《すそ》端折《はしお》って二人が庭に降りた時には、きらつく天気に映って俄《にわ》かにそこら明るくなった。
久しぶりでおとよも曇りのない笑いを見せながら、なお何となし控え目に内輪なるは、いささか気が咎《とが》むるゆえであろう。
籠《かご》を出た鳥の二人は道々何を見ても面白そうだ。道ばたの家に天竺牡丹《てんじくぼたん》がある、立ち留って見る。霧島が咲いてる、立ち留って見る。西洋草花がある、また立ち留って見る。お千代は苦も荷もなく暢気《のんき》だ。
「おとよさん、これ見たえま、おとよさんてば、このきれいな花見たえま」
お千代は花さえ見れば、そこに立ち留って面白がる。そうしてはおとよさん見たえまを繰り返す。元が暢気《のんき》な生れで、まだ苦労ということを味わわないお千代は、おとよをせっかくここまで連れて来ながら、おとよの胸の中は、なかなか道ばたの花などを立ち留って見てるような暢気でないことまでは思《おも》い遣《や》れない。お千代は年は一つ上だけれど、恋を語るにはまだまだ子供だ。
おとよはしょうことなしにお千代のあとについて無意識に、まあ綺麗《きれい》なことまあ綺麗なことといいつつ、撥《ばつ》を合せている。蝙蝠傘《こうもりがさ》を斜《はす》に肩にして二人は遊んでるのか歩いてるのか判《わか》らぬように歩いてる。おとよはもうもどかしくてならないのだ。
おとよは家を出るまでは出るのが嬉《うれ》しく、家を出てしばらくは出たのが嬉しかったが、今は省作を思うよりほかに何のことも頭にない。お千代の暢気につれて、心にもない事をいい、面白く感ぜぬ事にも作り笑いして、うわの空に歩いている。おとよの心にはただ省作が見えるばかりだ、天竺牡丹《てんじくぼたん》も霧島も西洋草花も何もかもありゃしない。
「省さんは先へいったのかしら、それともまだであとから来るのかしら」
こう思うのも心のうちだけで、うかりとしているお千代には言うてみようもなく、時々目をそらしてあとを見るけれど、それらしい人も見えない。ぶらぶら歩けばかえって体はだるい。
「おとよさん、もうわたし少しくたぶれたわ。そこらで一休みしましょうか」
お千代の暢気は果てしがない。おとよの心は一足も早く妙泉寺へいってみたいのだ。
「でもお千代さんここは姫島のはずれですから、家《いえ》の子《こ》はすぐですよ。妙泉寺で待ち合わせるはずでしたねい」
こういわれてようやくの事いくらか気がついてか、
「それじゃ少し急いでゆきましょう」
家の子村の妙泉寺はこの界隈《かいわい》に名高き寺ながら、今は仁王門《におうもん》と本堂のみに、昔のおもかげを残して境内は塵《ちり》を払う人もない。ことに本堂は屋根の中ほど脱落して屋根地の竹が見えてる。二人が門へはいった時、省作はまだ二人の来たのも気づかず、しきりに本堂の周囲を見廻《みまわ》し堂の様子を眺めておった。省作はもとより建築の事などに、それほどの知識があるのではないけれど、一種の趣味を持っている男だけに、一見してこの本堂の建築様式が、他に異なっているに心づき、思わず念がはいって見ておったのである。
「こんな立派な建築を雨晒《あまざら》しにして置くはひどいなあ、近郷に人のない証拠だ
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